ありがとうの盾

「ありがとうっていう言葉で殴り掛かる感覚、わかります?
 僕はそういうのが好きなんです」

先日、館の近くのバーに立ち寄った際に、そこの店員の男性に言われた言葉です。
正直、わかる気がします。この感覚。

幸い、占い館に居て嫌な思いをしたというのが(驚くことに、それにありがたいことに)今のところないんですけれど、
例えば、外に出てティッシュを配っていたとして、唾を吐きかけられたとします(ないです。そんなこと)
そういう時に、咄嗟に「おい!」と声を荒げてしまうと、そこからはもうぶつかるしかありません。
正直、お互い、嫌な気持ちになりますよね。

もう大分前の話ですけれど、学生のころ、友達と集まって遊んでいるときにひどいことを言われたことがあります。
その友達を、仮にO君としましょうか。
私はどうしてもそれが気に入らなくて、その友達が帰った後も、ぶつくさ文句を言っていました。
まあ、陰口ですよね。本人にそれをいうこともできなくて、ただ、文句だけ言ってた。
他の友達は苦笑いするばっかりで、多分、何もそんなに怒らなくてもって思ってたんじゃないかと思います
でも、こっちはこっちでもう引っ込みがつかない。
だから、ヒートアップしちゃってたんですよね。
で、喋っているうちにどんどんムカムカしてしまって、その怒りも最高潮になったころ。
O君を送った友達が戻ってきて、ドアを開けるなり「これ、Oから」とガムを取り出してみんなに配ったんです。
絶妙なタイミングでした。
だって、笑ってしまいましたから。
O君がどんな気持ちでそのガムを友達に預けたのかわかりません。
謝罪の気持ちがあったのかもしれないし、単なる善意かもしれない。
O君とは今でも付き合いがありますが、「あの時のあれはなんだったの?」なんて、聞いてもいません。
ただ、私の陰口に対して、O君が無自覚に差し出したガムは、なんだかとても複雑な味がしました。
ごめんなさい。ぶっちゃけてしまいますと、味はもう覚えてないです。
でも、あの時ガムをもらったっていうことは一生忘れないんだろうなあと思います。

善意や謝意には、相手にそれを伝える以上に、自分を守ってくれる力があります。
上司に理不尽に叱られた時、ムッとして黙り込んでしまったり、反論してしまうと、コイツ! って相手もヒートアップしてしまう。
でも、貴方が「以後気を付けます。ありがとうございます」って言ってしまったら、それに怒りを重ねるのって、なかなか難しいんです。
それを、バーにいたあの彼は「ありがとうで殴り掛かる」って表現したのかもしれません。
好きな考え方です。

話を戻しますね。
唾を吐きかけたその人に対して、咄嗟に「ありがとうございます!」って返してしまっていたら、どうでしょう?
……気持ち悪いだけですね。
こういう時には使わない方がいいかもしれません。
きっと、喧嘩にはならないでしょうけど。

やる気が出ない。やらない理由がひとつだけなくなった話

今回はたまたま、それで十分でした。

ブログをはじめて二日目で、始めた話を書くのも早すぎる気がしますが、ちょっとした衝撃だったので、ここに書き残しておきます。

やらなくてはいけないと思っているのに、どうしても始められないこと、腰が重くなってしまうこと、ありますか?

やろうやろうと思ってるのに、結局明日に、明日が一週間後に、一週間後が一ヶ月後に。
やらなくてはいけない理由は沢山あるはずなのに、これがなかなか手をつける気分にならなかったり。

それが、私にとってのブログでした。
頭の中を占めているのは、失敗したらどうしようとか、どんな記事をあげたらいいのかとか、そんなことばかり。
それで、まだ準備が出来てないだけだと考えてしまったり。

手を引っ張ってくれたのは、M先生でした。ブログのことを教えてくれたのもそうでしたが、響いたのは、何気ない一言でした。

「何を書いたらいいのかわからないんですよね。それで、迷惑をかけてしまったらと思うと……」

「ルドルフ先生が何も始めないことが、一番の迷惑になるよ?」

恥ずかしい話ですが、本当にその時まで、自分が二の脚を踏んでいることが、誰かの迷惑になるかもしれないって、考えたことなかったんですよね。
自分のことしか考えていませんでした。
でも、考えてみたら当たり前のことですよね。

何かをすることで誰かに迷惑をかけてしまうことがあれば、当然、何もしないことが人に迷惑をかけることもある。

と、いうわけで、ブログを始めました。
だって、人に迷惑をかけるのは避けたいですから。

……本当にこの内容でいいのか、ドキドキなんですが。
でも、それは占わないことにしておきます。

「そうきたか」のじゅもん

「そうきたか」のじゅもん

いつどこで誰から聞いたのか?
どこで拾った誰の受け売りなのかはもう思い出せませんが、どんな痛みもたちどころに和らげてくれる魔法の呪文があります。
それが私の一番好きな言葉。

「そうきたか」

語尾を伸ばして「そうきたかぁ」とするとより柔らかくなりますが、そこまで工夫するには相応の心の余裕が必要になります。
むしろ、そういう場面では必要ないかもしれません。

なんでこれが魔法の呪文なのか、不思議に思っていませんか?
わかります。ですから、一度騙されたと思って試してみてください。何か嫌なことがあったとき、辛いことが起きたとき、一度深呼吸をして心の中で「そうきたか」と呟いてみてください。
全然予期してなかった辛い出来事に、まるで、備えていたような気がしてきます。そうして、なんだかこっちの想定を上回れたと受け止める心の準備が出来てきます。
世の中はだいたい自分の想定を越えてくるものです。
受け止めてしまえば、あとは対応するだけ。
悩みというのは、いつも受け止めるまでが一番苦しいものです。
「そうきたか」と、一度その出来事を突き放してしまいましょう。

備えると言えば、占いの有用な効能のひとつに、「未来に備えることができる」というのがあります。
人生、普通に生きていればどうしても避けがたい傷を負うこともあると思います。
その時に、それを全く予期していなかったのか、それとも、もしかしたら……と思っていたのか、心がそれに備えていれば、無防備にその出来事を受け止めるよりもダメージは明らかに少ないはずです。

占いは予言ではありません。
良い未来は叶えに、悪い未来には備えればいいのです。

え? 占いなんて信用できませんか?
「そうきたか」
とは言いませんよ?

貴方に占いが必要ないのなら、それはその方がいいのですから。