日々のこと

一期一会の観劇がめっきり趣味になりつつあります。

こんにちは、ルドルフです。
上野店のすぐそばに、ストアハウスさんという劇場があるのですが、最近、そちらで行われる劇を観るのが趣味のようになっています。
毎週、占い館に立つたびに次の劇団さんと公演内容を確認するのが秘かな楽しみなんですよね。
劇団四季や宝塚のような大きな劇場ではありませんが、観劇してみると小劇場小劇団なんて関係ないって思わされます。
どれも本当に面白いんですよね。
それでついつい次の週の別の劇団さんも観たくなってしまったり。

きっかけは、劇団Birthさんの「オルゴール」という舞台でした。

(ポスターを写メしたものです)
大人になっても続く友情や絆をテーマにした舞台で、劇場の広さもあって他のお客さんのすすり泣きの音や、役者さんの息遣いがとてもリアルで、一発ではまってしまったんですよね。
聞けば、こちらの劇は少し改変して中学高校で上演する予定があるとのこと(もうやったのかな?)、納得のテーマですし、それも見てみたいなあ……。中高生じゃないのが残念です。

次に見たのが、劇団シアタースカイさんの「鬼姫」

こちらは殺陣が本当にすごかったです。時代劇を舞台でやるのってすごく難しいと思うんですけど、全然違和感なかったです。
幕が上がるのと同時にプロジェクションマッピングで解説が入るのがまたかっこよくて、否応なく期待が膨らんでしまいます。
ストーリーも王道の復讐ものと見せかけて、最後に独白されるヒロイン鬼姫の心情がまた……そう来たかあと唸ってしまいました。
……ちょっとルパン三世を思い出してしまったのは、共通点あるのかないのか、難しいところです。

そして、一番直近、最後に見たのがナナシノ()さんの「一時間後の、僕。」(一僕と略すそうです)

こちらは、アナウンサー、とりわけ実況アナウンサーをテーマに取り上げた群像劇です。
入り組んだ仕掛けがされた舞台で、一度見ただけではわからないところが多く、それでもとにかく面白くて、その日のうちにもう一度見に行ってしまいした。
アナウンサーの劇なので、素人が見ても難しいセリフや表現、長セリフなども多くて、でもそのシーンがいちいち印象的なんですよね。
特に好きなのが、出だしの演出。
開演前から舞台の上で思い思いくつろいでいた役者さんが、「本番始まります」の掛け声とともに歌いだすのですが、もうそこからの一連の演出が圧巻でした。このオープニングはDVDで何度も見返したいと思いました。

どの劇を思い出してもちょっとにやにやしてしまいます。
占い探偵ルドルフとしては、こんなに面白いことがまだまだ沢山あるんだなということ知らなかったというのが、なんとも不甲斐ないです。

小劇場での舞台でもそうですけど、ちょっと勇気を出して踏み込んでみると意外な発見や面白いことって、まだまだ沢山あるみたいです。
そういうアンテナもっと広げていきたいところです。

そうそう、これだけ楽しく語ってしまったのに、この劇たち、実はもう千秋楽を迎えてしまっています。
小さい劇場での劇は公演回数があまり多くなくて、一週間で見られなくなってしまうのも沢山あるんですよね。
それこそ本当に一期一会。
もう一度観たいなと思うんですけど、すぐにはそれは叶いそうにない。
だから、この楽しかった観劇の思い出を、何度も何度も反芻してしまうんですね。

テレビの収録にお邪魔してきました。


撮影中の一コマ

と、いうわけでなんと日曜日に上野店でテレビの収録がありました。
私は今金曜日と土曜日に上野店に出ていますので、普段は日曜日はいないのですが、
テレビの収録があると聞いて、つい見学に行ってしまいました。
普段何気なくテレビを見ていて、何となく自然にカメラが回っていれば収録ってできるのかなと思っていましたが、
やっぱり全然そんなことないんですよね。
カメラが回ってるときは、テレビ収録中ですというプレートを持った方が外で待機していたり、ほんの数秒の映像のために音響さんやカメラマンさんが段取りを組んでいる姿を見たりで、テレビってこんなに大変なのか……と、感心しきり。
とても面白かったです。
すごく印象に残っているのは、カメラマンさんが、うつっている芸人さんの立ち位置を細かく指定していたところでした。
些細なことですけど、きっと後々編集するときにつじつまが合うように計算をされているのかなと。
……テレビって大変だ(二回目)

自己紹介で、私は「縁全肯定」と書きました。
縁と聞くと、なんだか不意に訪れる突然の出会いのような気がしてきませんか?
もちろん、そういう縁も沢山あります。偶然ばったり、なんて、とても素敵な縁ですよね。

でも、縁がほしかったら、自分から動いてみるのも必要です。
素敵な出会いがほしいけれど、会社と自宅の往復しかしない、なんて、縁結びの神様だって文句のひとつも言ってくるかもしれません。
縁がつながりやすそうなところに自分から足を運ぶ習慣をつける。
それだけでも、縁はずっとつながりやすくなるはずです。

……だから、ほら、見学だってその……ただ、ミーハーだったってわけじゃないんですよ? 本当です。ほんと。

リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ

「よく生きることは最良の復讐である」
大好きなツイッター小説で知った言葉です。
もともとはスペインの諺だそうな。

何かとても悔しい思いをしたとき、どうしても見返してやりたいやつがいるとき、貴方はどうしますか?
相手をなんとかして打ち負かそうとしていないでしょうか?
何かに勝つことは、一時、自分を納得させるのに必要な儀式かもしれません。
ただ、本当のところ、最後の最後に一番相手にとって痛い報復とは何か? と考えてしまうと
それはあなたが、健やかに、楽しそうに活きていることなんです。
信じられます?

日本には、「憎まれっ子、世に憚る」という諺があります。
私の記憶が確かならば、人から憎まれるような人ほど、世間ではのうのうと生きている、みたいな意味だったと思います。
これはまあ、本当のことなんでしょうけど、でもちょっと視点を変えてみてください。
なんでこんな故事があって、今の世の中までずっと伝わってきてるんでしょう?
それってたぶん、私たちは、こんな諺が生まれるくらい、嫌いな相手が今どんな風に生きているのか気にしているってことじゃないかなと私は思います。
嫌だな、と思う相手がどんなふうに生きているのか、憎い相手のことほど、知りたくなる。昔っからみんなそうだったんですよね。
その気持ち、すっごくわかります。

だから、「リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ」
よく生きることは、最良の復讐です。

貴方は、貴方が憎いと思う人には憎まれていないかもしれない。
でも、その人がふと貴方のことを気にしたとき、
貴方が、「よく生きている」こと。

それほど、痛快な仕返しはないじゃないですか。

僕らはみんな呪われている

世の中で一番身近な呪いって、なんだと思いますか?

私にとってそれは、ある人から投げかけられたひとつのお願いでした。

お話をする前に、まず、ここでいう呪いというのを定義づけてしまおうと思います。
呪いとは何か? スピリチュアルな側面から迫ったら、それはもう説明しづらいものになってしまうんですけど、
誰もが経験したことのある、一番身近なものとして、
私は、呪いとは「どうしても忘れられない言葉」だと定義しています。
「女の子なんだから」とか「アイツは根暗だから」とか、そんなの本当は気にしなくてもいいはずなのに、
その言葉が自分のあり方を縛ってしまう、「忘れられない言葉」「頭の片隅から、ふと湧き出てくる言葉」
そういうものを投げかけられた時に、人はその言葉に呪われてしまいます。

私にとってそれは、22の時のこと、探偵を辞める時に投げかけられた言葉でした。
「なにかひとつくらい、やり遂げてくださいよ……」
その言葉を言った所長が、どんな顔をしていたのか、よく覚えていません。
あきれ果てていたのか、こちらの身を案じてくれていたのか、激励だったのか、今となってはわかりません。
ただ、「なにかひとつくらい、やり遂げてくたさい」という、その言葉は、ふとした瞬間に、頭の隅から湧き上がってくるんです。
そのたびに思います。
果たして、私はなにかひとつでもやり遂げたことがあったのでしょうか? と。
もし、運命や神様みたいな何かが、私の人生を客観的に見ていたら、
もしかしたら、「あなたはこれをやり遂げたじゃん」といってくれるかもしれません。
ですが、やっぱり今の私は、「ああ、私は何もやり遂げることができないのかもな」と考えてしまうんですよね。

これが、他人から見たら、ひどくどうでもいい、些細な些細な、
これまで、自分は何もやり遂げてないかもしれない。
という呪いです。

では、呪いを解くにはどうしたらいいのでしょう?
何かやり遂げればいい。まさにその通りです。
でも、感情って不思議なもので、他人から見たらやり遂げているように見えても、本人はそう思わないんですよね。
そういう人、私も沢山見てきました。
「こんなの、努力したとは言えない」
「私は全然魅力的じゃない」
他の人が見たらそんなことないのに、なんでかそう思ってしまうんですよね。

じゃあ、どうしたらいいんでしょう?
ひとつだけ、自分が呪いとうまく付き合う方法を紹介します。
それは、自覚してしまうことです。
あ、この言葉に自分は呪われているな、と自覚してしまうこと。

そうしたら、その言葉に対して、私はこう考えることができます。
「やり遂げたかどうか、私は自分では判断できない。それはほかの人が判断すればいい」

呪いが怖いのは、それが正体不明だからなんですよね。
正体不明のモノには対処することができませんから。
こういうものだと形を作ってしまえば、開き直ってしまえます。

と、いうわけで。
「なにかひとつくらい、やり遂げてくださいよ」
まあ、ぼちぼち頑張ってみます。

ありがとうの盾

「ありがとうっていう言葉で殴り掛かる感覚、わかります?
 僕はそういうのが好きなんです」

先日、館の近くのバーに立ち寄った際に、そこの店員の男性に言われた言葉です。
正直、わかる気がします。この感覚。

幸い、占い館に居て嫌な思いをしたというのが(驚くことに、それにありがたいことに)今のところないんですけれど、
例えば、外に出てティッシュを配っていたとして、唾を吐きかけられたとします(ないです。そんなこと)
そういう時に、咄嗟に「おい!」と声を荒げてしまうと、そこからはもうぶつかるしかありません。
正直、お互い、嫌な気持ちになりますよね。

もう大分前の話ですけれど、学生のころ、友達と集まって遊んでいるときにひどいことを言われたことがあります。
その友達を、仮にO君としましょうか。
私はどうしてもそれが気に入らなくて、その友達が帰った後も、ぶつくさ文句を言っていました。
まあ、陰口ですよね。本人にそれをいうこともできなくて、ただ、文句だけ言ってた。
他の友達は苦笑いするばっかりで、多分、何もそんなに怒らなくてもって思ってたんじゃないかと思います
でも、こっちはこっちでもう引っ込みがつかない。
だから、ヒートアップしちゃってたんですよね。
で、喋っているうちにどんどんムカムカしてしまって、その怒りも最高潮になったころ。
O君を送った友達が戻ってきて、ドアを開けるなり「これ、Oから」とガムを取り出してみんなに配ったんです。
絶妙なタイミングでした。
だって、笑ってしまいましたから。
O君がどんな気持ちでそのガムを友達に預けたのかわかりません。
謝罪の気持ちがあったのかもしれないし、単なる善意かもしれない。
O君とは今でも付き合いがありますが、「あの時のあれはなんだったの?」なんて、聞いてもいません。
ただ、私の陰口に対して、O君が無自覚に差し出したガムは、なんだかとても複雑な味がしました。
ごめんなさい。ぶっちゃけてしまいますと、味はもう覚えてないです。
でも、あの時ガムをもらったっていうことは一生忘れないんだろうなあと思います。

善意や謝意には、相手にそれを伝える以上に、自分を守ってくれる力があります。
上司に理不尽に叱られた時、ムッとして黙り込んでしまったり、反論してしまうと、コイツ! って相手もヒートアップしてしまう。
でも、貴方が「以後気を付けます。ありがとうございます」って言ってしまったら、それに怒りを重ねるのって、なかなか難しいんです。
それを、バーにいたあの彼は「ありがとうで殴り掛かる」って表現したのかもしれません。
好きな考え方です。

話を戻しますね。
唾を吐きかけたその人に対して、咄嗟に「ありがとうございます!」って返してしまっていたら、どうでしょう?
……気持ち悪いだけですね。
こういう時には使わない方がいいかもしれません。
きっと、喧嘩にはならないでしょうけど。

やる気が出ない。やらない理由がひとつだけなくなった話

今回はたまたま、それで十分でした。

ブログをはじめて二日目で、始めた話を書くのも早すぎる気がしますが、ちょっとした衝撃だったので、ここに書き残しておきます。

やらなくてはいけないと思っているのに、どうしても始められないこと、腰が重くなってしまうこと、ありますか?

やろうやろうと思ってるのに、結局明日に、明日が一週間後に、一週間後が一ヶ月後に。
やらなくてはいけない理由は沢山あるはずなのに、これがなかなか手をつける気分にならなかったり。

それが、私にとってのブログでした。
頭の中を占めているのは、失敗したらどうしようとか、どんな記事をあげたらいいのかとか、そんなことばかり。
それで、まだ準備が出来てないだけだと考えてしまったり。

手を引っ張ってくれたのは、M先生でした。ブログのことを教えてくれたのもそうでしたが、響いたのは、何気ない一言でした。

「何を書いたらいいのかわからないんですよね。それで、迷惑をかけてしまったらと思うと……」

「ルドルフ先生が何も始めないことが、一番の迷惑になるよ?」

恥ずかしい話ですが、本当にその時まで、自分が二の脚を踏んでいることが、誰かの迷惑になるかもしれないって、考えたことなかったんですよね。
自分のことしか考えていませんでした。
でも、考えてみたら当たり前のことですよね。

何かをすることで誰かに迷惑をかけてしまうことがあれば、当然、何もしないことが人に迷惑をかけることもある。

と、いうわけで、ブログを始めました。
だって、人に迷惑をかけるのは避けたいですから。

……本当にこの内容でいいのか、ドキドキなんですが。
でも、それは占わないことにしておきます。

「そうきたか」のじゅもん

「そうきたか」のじゅもん

いつどこで誰から聞いたのか?
どこで拾った誰の受け売りなのかはもう思い出せませんが、どんな痛みもたちどころに和らげてくれる魔法の呪文があります。
それが私の一番好きな言葉。

「そうきたか」

語尾を伸ばして「そうきたかぁ」とするとより柔らかくなりますが、そこまで工夫するには相応の心の余裕が必要になります。
むしろ、そういう場面では必要ないかもしれません。

なんでこれが魔法の呪文なのか、不思議に思っていませんか?
わかります。ですから、一度騙されたと思って試してみてください。何か嫌なことがあったとき、辛いことが起きたとき、一度深呼吸をして心の中で「そうきたか」と呟いてみてください。
全然予期してなかった辛い出来事に、まるで、備えていたような気がしてきます。そうして、なんだかこっちの想定を上回れたと受け止める心の準備が出来てきます。
世の中はだいたい自分の想定を越えてくるものです。
受け止めてしまえば、あとは対応するだけ。
悩みというのは、いつも受け止めるまでが一番苦しいものです。
「そうきたか」と、一度その出来事を突き放してしまいましょう。

備えると言えば、占いの有用な効能のひとつに、「未来に備えることができる」というのがあります。
人生、普通に生きていればどうしても避けがたい傷を負うこともあると思います。
その時に、それを全く予期していなかったのか、それとも、もしかしたら……と思っていたのか、心がそれに備えていれば、無防備にその出来事を受け止めるよりもダメージは明らかに少ないはずです。

占いは予言ではありません。
良い未来は叶えに、悪い未来には備えればいいのです。

え? 占いなんて信用できませんか?
「そうきたか」
とは言いませんよ?

貴方に占いが必要ないのなら、それはその方がいいのですから。