合羽橋通りもめっきり七夕の装いになりました。

んー、写真が下手で分かりにくいかもしれません。
通りに提灯と吹き流しが並んで、風にさらさらと揺れています。
この音を聞いているだけで、ほんの少しだけ涼しく感じられるような気がします。

七夕と言えば、短冊に願い事を飾る日という印象ですけど、
大人になるとそういうこともほとんどやらなくなってしまって、ちょっとだけ寂しい気がします。
今の自分だったら短冊に何を書くかなあと想像してみたりして。
んー、お金、とか、恋人、とか書くんでしょうか。それもいいんですけど、せっかく年に一回書くんでしたら、なんだかちょっと変わったことを書きたい気がします。

もうほんと、どこで聞いたのかも誰から聞いたのかも覚えていないんですけど、例えば新年に神社に行って神様にお祈りをするじゃないですか? 家族の健康を願ったり受験の成功を願ったり、でもあれって、本当は神様に「今年も一年ありがとうございます。今年はこうだったので、来年はこうします」って宣誓をするのが正しいみたいなんですよね。案の定、根拠も何も覚えてないんですけど、どこかでそう聞いたような。

なので、短冊にも~が欲しいって書くよりは、いっそ「来年の今日までに、私は~します」って書いてしまった方が清々しいかもしれません。願い事ばかり聞いてうんざりしている織姫と彦星も、突然の決意表明を見たら笑ってしまうかも。
「それなら頑張れ」って応援はしてくれそうです。

自分の願いを口に出して言えることって大事です。
自分がやりたいことがはっきりしているということですから。
それをさらに短冊に飾れてしまうくらいしっかりとした気持ちなら、きっとそのために動けるはずですしね。

うーん、短冊に何を書こうかなあ。
こんなこと書いてる自分でも、なかなかはっきり言葉にならないんですよね。

信じてるなら求めよう。そうしたら与えられるらしい。

恥ずかしながら、最近「7つの習慣」という本を読み始めました。
って、何が恥ずかしいのかさっぱりわかりませんね。
この7つの習慣という本、自己啓発関連の本では知らない人がいないくらい有名な本で、
ビジネスマンなら必ず一度は読んでいるというほどの名著らしいんですね。
私も名前は聞いていたのですが、2400円もするし600ページもあるし、
正直「自己啓発? それって役に立つの?」という気持ちもあって、
今日に至るまで読んでこなかったんですよね。
多分、そういう人、多いんじゃないかなと思います。
御多分に漏れず、私もそういう人間でした。

と、ここまで読むと「7つの習慣」はいいぞ! みたいな話になるんじゃんないかと警戒される方もいるかもしれません。
そういう話がまるでないとは言いませんが、今日の話題はちょっとだけずれてます。

7つの習慣を読み始めて、すぐにこの本に対してひとつ誤解を持っていたことがわかりました。
それは、「この習慣をひとつかふたつつまみ食いして毎日続ければ、それで人生はよくなっていく」という誤解です。
例えば、毎日メモを取ろうとか、怒りを感じたら3秒深呼吸をしようとか。
そういう行動に関する本だと思っていたんですよね。
ところが、この本の中身は違いました。
これは、習慣の内容をひとつ紹介した方が早いかもしれませんね。

ひとつ目の習慣、それは「主体的に生きる」

七つの習慣は、「あなたの人生はすべてあなたの選択で成り立っている、それを自覚しなさい」と言ってきます。
例えば、客先で理不尽なクレームをもらったとき、落ち込んだり怒りがこみ上げてくることですら、
その事と感情の動きの間に、「あなたは自分がどう感じるのか選ぶことができる」というのです。
そして、これを習慣にしろと。
……すごく難しいことを言いますよね。
簡単にはできそうにありません。

でも、この本はそれを前提にして、二つ目の習慣を提示してきます。
「あなたの人生の目的は何ですか?」と。

正直に言います。
私は、ちょっとおもしろいなと思いました。
ここに書かれていることをそのまま実践できるかはわかりません。
ですが、ここに書かれている通りに生きることができたら、どうなるんだろう?
とは思ったわけです。
だからまずは、この眉につけた唾を拭って、ちょっとやってみようかなと思っています。

さて、実はここからが今日の本題です。
聖書にこのような言葉があります。

『求めよ、さらば与えられん』

「求める」ってどういうことなんでしょう?
「あれほしいなあ、こうなったらいいなあ」日々思うことは沢山あるかもしれません。
これって、一般の感覚では求めてますよね。
でも、全然与えられてる気がしない。……いえ、別の効果で与えられることもあるんですけど、それはまた別の機会に書くとして。
じゃあ、この言葉はただの気休め? 
うーん、ちょっと待ってください。
例えばこういうのはどうでしょう?
ちょっと小腹がすいた時、ポテトチップスがほしいと思う。→これって、ポテトチップスを求めてます。
求めるには、欲しいと思うというニュアンスがあります。
どうにも我慢できずに、コンビニエンスストアに買いに行きました。レジカウンターにポテトチップスを持っていって、
「これください」というわけです。→これも、日本語ではポテトチップスを求めるといいます。
求めるには、買うというニュアンスがあります。
厳密には、辞書には「欲しいと要求する」と意味が書かれているんですよね。

話を戻しましょう。
「七つの習慣」ちょっとおもしろいと思いました。
この本で何かを得られるなら、信じてもいいかなと。
だから読んでみているんですけど、これは求めたことなるでしょうか?
多分、違いますよね。
ここに書かれていることを、実践してみないと、この本に書かれた結果を求めたことにはならない気がします。

思うに、物事って大体そういうものなのかもしれません。
ポテチ買いたいなと思ったんですけど、コンビニエンスストアまで足を運んで、「ください」と私は言っただろうか?
そんなことを思ったわけです。

さて、まだまだ読み途中ですが、信じる者は救われるとも言いますし、
折角ですから「七つの習慣」が示す未来を求めてみましょうか。

幸せになるための質問

先日、質問力に関する本を読みました。
その本には、どのような質問を自分に対して抱くことができるかが、
人生をより良くするというようなことが書かれていて、
なるほどなあと、感心しきり。

世の中を生きにくくする思い込みのひとつに、「世の中には正解がある」というものがあります。
何かで迷ったとき、あるいは二者択一を迫られら時、
どうするのが正解なんだろう? と考えてしまう思い込み。
本当は正解なんてどこにもないのに、何かが正解で何かがハズレだと無意識に思ってしまう。
だから、あるかどうかもわからない正解を解くための「式」を見つけようとしてしまう。
正解があるかもわからないのだから、それを導くための「式」なんてあるわけがないんですよね。
結果として、何も選べなくなってしまう。
選んだとしても、本当はあっちが正解だったのでは? なんて悩んでしまうことになる。
子供のころから、ずっと正解を導く練習をしてきた私たちは、だから、正解がない問いにとても弱いんです。
それは練習してきませんでしたから。

人生をよくする問いには、正解がありません。
だから、私たちは人生を良くするのは苦手なのかもしれません。

「どうやったら私の人生はより良くなりますか?」
「あなたの本当の望みはなんですか?」
人によって答えが違います。
正解はありません。
でも、正解はないと受け入れてしまえたら。
もう後は、思いついたことは全部やってみるしかない。
なるほど、好きな考え方です。
幸い、私には占術という良き相談相手もいますしね。

早速試してみることにします。
さしづめ、「貴方のお役に立つにはどうしたらいいですか?」
ゆっくり考えてみましょう。

良い本を読みました。

一期一会の観劇がめっきり趣味になりつつあります。

こんにちは、ルドルフです。
上野店のすぐそばに、ストアハウスさんという劇場があるのですが、最近、そちらで行われる劇を観るのが趣味のようになっています。
毎週、占い館に立つたびに次の劇団さんと公演内容を確認するのが秘かな楽しみなんですよね。
劇団四季や宝塚のような大きな劇場ではありませんが、観劇してみると小劇場小劇団なんて関係ないって思わされます。
どれも本当に面白いんですよね。
それでついつい次の週の別の劇団さんも観たくなってしまったり。

きっかけは、劇団Birthさんの「オルゴール」という舞台でした。

(ポスターを写メしたものです)
大人になっても続く友情や絆をテーマにした舞台で、劇場の広さもあって他のお客さんのすすり泣きの音や、役者さんの息遣いがとてもリアルで、一発ではまってしまったんですよね。
聞けば、こちらの劇は少し改変して中学高校で上演する予定があるとのこと(もうやったのかな?)、納得のテーマですし、それも見てみたいなあ……。中高生じゃないのが残念です。

次に見たのが、劇団シアタースカイさんの「鬼姫」

こちらは殺陣が本当にすごかったです。時代劇を舞台でやるのってすごく難しいと思うんですけど、全然違和感なかったです。
幕が上がるのと同時にプロジェクションマッピングで解説が入るのがまたかっこよくて、否応なく期待が膨らんでしまいます。
ストーリーも王道の復讐ものと見せかけて、最後に独白されるヒロイン鬼姫の心情がまた……そう来たかあと唸ってしまいました。
……ちょっとルパン三世を思い出してしまったのは、共通点あるのかないのか、難しいところです。

そして、一番直近、最後に見たのがナナシノ()さんの「一時間後の、僕。」(一僕と略すそうです)

こちらは、アナウンサー、とりわけ実況アナウンサーをテーマに取り上げた群像劇です。
入り組んだ仕掛けがされた舞台で、一度見ただけではわからないところが多く、それでもとにかく面白くて、その日のうちにもう一度見に行ってしまいした。
アナウンサーの劇なので、素人が見ても難しいセリフや表現、長セリフなども多くて、でもそのシーンがいちいち印象的なんですよね。
特に好きなのが、出だしの演出。
開演前から舞台の上で思い思いくつろいでいた役者さんが、「本番始まります」の掛け声とともに歌いだすのですが、もうそこからの一連の演出が圧巻でした。このオープニングはDVDで何度も見返したいと思いました。

どの劇を思い出してもちょっとにやにやしてしまいます。
占い探偵ルドルフとしては、こんなに面白いことがまだまだ沢山あるんだなということ知らなかったというのが、なんとも不甲斐ないです。

小劇場での舞台でもそうですけど、ちょっと勇気を出して踏み込んでみると意外な発見や面白いことって、まだまだ沢山あるみたいです。
そういうアンテナもっと広げていきたいところです。

そうそう、これだけ楽しく語ってしまったのに、この劇たち、実はもう千秋楽を迎えてしまっています。
小さい劇場での劇は公演回数があまり多くなくて、一週間で見られなくなってしまうのも沢山あるんですよね。
それこそ本当に一期一会。
もう一度観たいなと思うんですけど、すぐにはそれは叶いそうにない。
だから、この楽しかった観劇の思い出を、何度も何度も反芻してしまうんですね。

写真もないのにお花見の話

こんにちは。
占い師のルドルフです。

先日、お店の近くの上野公園のお花見に行ってきました。
お花見といっても、気の合う仲間と夜桜を見ながらお酒を飲んでいたわけではなくて、
実はお花見をしている方々を占いに行っていたんですけど
皆さん喜んでいただけてとてもよかったです。
時間を計っているわけではないので、楽しそうにされているとついついこっちまで長々とお話ししてしまったりして、
なんとも得難い経験をさせていただきました。
占わせていただいた方皆様が、この新年度を良いスタートをきれるよう、心から応援しております。
そのお役に立てたなら本当に幸いです。

それにしても、実は宴会している方に自分から声をかけて占いをしようだなんて、
これまで考えたことがなかったから最初は本当にドキドキしました。
これはちょっと違うのかもしれませんが、行楽地でナンパなどをされる方って本当にすごいなと、あらぬところに感心してしまったり。
冗談とか、揶揄ではなくて、そうやって他人にぶつかっていけるのは強いなあと思ったわけです。
私はそういう風には生きては来なかったので、その強さは羨ましいし、見習いたいなと。
人生、いろいろなことをしてみるもんですね。

……で、実はもう緊張しっぱなしで、桜の写真も撮ってなかったんですよね。
ほんと、見習わなくてはいけません。

占い探偵ルドルフ

友人が誕生日のお祝いにと書いてくれました。
本当にありがたいです。
この気持ちを、こう……なんだろう? わくわくするような、ありがたいっていう気持ちのような、とにかくいろいろな暖かい気持ちがないまぜになった気持ちをうまく言葉にできなくて、ちょっと困っています。
贅沢な悩み事ですよね。

さて、今日は「二兎を追うもの、一兎をも得ず」について書いてみたいと思います。
あるいは、「真実はいつもひとつ」とか?

実は、先日、占い館に来る途中ちょっと気になる親子連れを見つけたんですよね
お母さんが、男の子に「ダメだよ、二兎を追うもの一兎をも得ずだからね」と言い聞かせていて、
正直、あまりそういう風に言葉に出して言うのは珍しいなあと思ったのを覚えています。
どんな会話の拍子にその言葉が出てきたんでしょうか、ちょっとわからないんですけどこの言葉、どう思いますか?

今更この諺の説明も必要ないでしょうが、別の方向に逃げる二羽のウサギを両方とも追ってしまったら、結局、どちらも手に入らない。
転じて、欲を出して同時に二つのことをやろうとすると、結局どっちも失敗するという諺です。
これは確かに、説得力のある諺ですよね。
そうなんだろうなって、私も思います。

でも、どうでしょう?
何かひとつのことに集中してしまうって、すごい力を発揮しますが、同時にとても危険ことでもあります。
だって、その時、その人には、それしかないんですよ?
もしも、結局それでウサギを捕まえられなかったら?
ウサギを捕ることだけに集中してしまった人は、それからどうしたらいいのでしょう?
……その経験を生かして、またウサギを捕まえに行ければいいんですけど……。

何かに集中しているということは、それだけそのことに依存しているということでもあります。
だからそれがダメになってしまうと、途端に人は不安になってしまう。
自分には何もないと感じてしまう。
実は、不安に対処するわかりやすい方法のひとつは、依存するものをできるだけ多く事なんです。
足場がひとつだと、それが崩れたらその人はもう倒れるしかありません。
ですが、それが二つだったら? 三つだったら? どれか一つが崩れても、まだ残りの足場に立っていられます

だから、私はこう思います。
いいんです、二兎でも三兎でも追えば。
二兎だろうが三兎だろうが、ちゃんと追えば、それには意味があります。それは絶対です。言いきっちゃいましょう。
(もともと、二兎を追うもの一兎をも得ずって、二兎を追った結果どちらも疎かにしちゃうからなんですよね)

だから「何か目標を見つけたら、それだけしかやってはいけない」なんて、思い込まなくていい。

集中すればうまくいく人もいます。
でも、沢山のことに手を出して、失敗してきたから、新しい何かを見つける人もいる。

こうじゃなきゃいけない生き方、なんて、世の中にはないんです。

さて、私もまた年を経たことですし、二兎でも三兎でも、好きな数の兎を追いましょうか。

その座席の価値を僕はまだ知らない


上野店のすぐ近くの小劇場「上野ストアハウス」さんのところで観劇をするのが専らの趣味になりつつあります。
どうもこんばんは。ルドルフです。
公演回数の少ない小劇場で行われる演劇には一期一会の趣があって、
今この瞬間じゃないとこれは見られなかったなと思うと、ちょっと値が張ってもつい見たくなってしまうんですよね。
まあ、これも縁です。
占い館のすぐ近くに小劇場があったのが運の尽きというか、運が良かったというか。

さて、今回はずいぶん前にあったちょっと印象に残ってるエピソードです。
いつのころでしたっけ?
聞かれてもわからないと思いますが。
もうずいぶん前のこと、電車で自宅に帰る途中、優先席の前に吊革につかまってぼーっとしていたら、
目の前の優先席に座っていたおじいさんに声をかけられました。
シュッとした体形の、なんだかダンディなおじいさんだったのを覚えています。
間もなく到着する駅の名前を告げるアナウンスが社内に鳴り響く中、おじいさんははっきりと私に向かって、
「どうぞ」
と、立ちあがり、私に席を譲ろうとしたのです。
戸惑う私に、そのおじいさんは、
「もう私は降りますから」
そうは言っても、そこは優先席です。
座っていいものなのか、周りの目も気になってまごまごしていると、そのおじいさんは
「(次に座る人も)空いている席に座るより、貴方に譲ってもらった方が嬉しいでしょう?」
そう言って、にっこりと笑いました。
いや、もうほんと。
そんな席の譲り方もあるのか!? と、その時は衝撃でした。軽いパニックにもなりました。
目の前のおじいさんは紳士すぎるし、そんなこと言われて座らないわけにもいかないし、
私はうまく席を譲ることができるのだろうか? なんて、よくわからない緊張感に包まれるし。
程なくして、電車は駅に着き、そのおじいさんは降りていきました。
私はというと、最初は何とか座っていたものの、恥ずかしいやら緊張やらで、
ものの数分とそこに座っていることができず、結局、車両を変えました。
後であの席に座った人は、その席でそんな葛藤があったことなんて知る由もありませんね。

あの電車での出来事、これからもきっと事あるごとに思い出すんでしょうけど、
私はそれをどう消化すればいいのか、いまだによくわかりません。
今日はただそれだけのお話です。

それは誰に宛てられた言葉なのか

インターネットで調べてみても全然そんな逸話が出てこない。
おそらく間違ったまま覚えてしまったのだろうエピソードなのですが、
何故だかとても腑に落ちてしまって、間違えたまま私の中で教訓になっている諺があります。

『初心、忘れるべからず』

一般的に「何か物事を始めたときの新鮮な気持ちを忘れないように」」
みたいな意味で覚えられているこの言葉ですが、実はその意味も違うようなんですよね。
初心ってなんなのか?
調べてみると、面白いです。

でも、実は今日の本題はそこでもなくて。
誰もが知っている、この『初心、忘れるべからず』
それは、誰に、どうやって宛てられた言葉なのか? というところにあります。
本当に、どこで聞いたのか、なんでそんな風に覚えているのかよくわからないエピソードなので、
眉唾だと思って聞いてください。

私の記憶の中のエピソードでは、この諺は大事な大事な口伝でした。
ある世界で、ひとつの物事を必死になって極めた人が、免許を皆伝するときに、師匠にそっと教えてもらう言葉だったのです。
「お前はここまで成長した、だから、お前だけに私が師匠から教わった大切な言葉を伝えよう。
お前も、弟子を育てたとき、この言葉を口伝として必ず後世に伝え、絶やすんじゃないぞ」
そうやって、師匠が勿体をつけて(言葉が悪いですが)その人だけに特別に教えてくれる言葉、
それが、「初心、忘れるべからず」だったんです。
だから、その言葉を受け継いだ人は、誰よりも「初心、忘れるべからず」という教えを大切にしたのだそうです。
それもそうですよね、その言葉は、その人だけに与えられた、重要な口伝だったのですから。

どこで聞いたのかもわからない、でもすごく印象に残ってるこの物語、もう私の頭の中でこねくり回された創作なのかもしれません。
でも、私はどうもこの物語がとても気に入っていて、間違っているかもしれないと思いつつ、捨て去ることができないんですよね。

「初心、忘れるべからず」
誰もが知っている言葉ですし、いい言葉だよなと思うこともあるかと思います。
ただ、この物語の「その人」のように、その言葉を受け止めることができているかというと、私はそうできていません。
だから、思うんですよね。

もしも、世の中にありふれた当たり前の言葉を、自分のためだけに与えられた言葉だと信じることができたら。
それって、ものすごく強い力になると思いませんか?

だから、ちょっとだけ気にしてみてください。
もしも、自分がいい言葉に出会ったなら
「これは、私だけに与えられた言葉なんだ」って、「その人」みたいに、信じてみてください。
その言葉は、貴方にずっと寄り添ってくれます。

実は、このブログも、そんな貴方のために書かれたものなんです。

……信じてもらえますかね?

テレビの収録にお邪魔してきました。


撮影中の一コマ

と、いうわけでなんと日曜日に上野店でテレビの収録がありました。
私は今金曜日と土曜日に上野店に出ていますので、普段は日曜日はいないのですが、
テレビの収録があると聞いて、つい見学に行ってしまいました。
普段何気なくテレビを見ていて、何となく自然にカメラが回っていれば収録ってできるのかなと思っていましたが、
やっぱり全然そんなことないんですよね。
カメラが回ってるときは、テレビ収録中ですというプレートを持った方が外で待機していたり、ほんの数秒の映像のために音響さんやカメラマンさんが段取りを組んでいる姿を見たりで、テレビってこんなに大変なのか……と、感心しきり。
とても面白かったです。
すごく印象に残っているのは、カメラマンさんが、うつっている芸人さんの立ち位置を細かく指定していたところでした。
些細なことですけど、きっと後々編集するときにつじつまが合うように計算をされているのかなと。
……テレビって大変だ(二回目)

自己紹介で、私は「縁全肯定」と書きました。
縁と聞くと、なんだか不意に訪れる突然の出会いのような気がしてきませんか?
もちろん、そういう縁も沢山あります。偶然ばったり、なんて、とても素敵な縁ですよね。

でも、縁がほしかったら、自分から動いてみるのも必要です。
素敵な出会いがほしいけれど、会社と自宅の往復しかしない、なんて、縁結びの神様だって文句のひとつも言ってくるかもしれません。
縁がつながりやすそうなところに自分から足を運ぶ習慣をつける。
それだけでも、縁はずっとつながりやすくなるはずです。

……だから、ほら、見学だってその……ただ、ミーハーだったってわけじゃないんですよ? 本当です。ほんと。

リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ

「よく生きることは最良の復讐である」
大好きなツイッター小説で知った言葉です。
もともとはスペインの諺だそうな。

何かとても悔しい思いをしたとき、どうしても見返してやりたいやつがいるとき、貴方はどうしますか?
相手をなんとかして打ち負かそうとしていないでしょうか?
何かに勝つことは、一時、自分を納得させるのに必要な儀式かもしれません。
ただ、本当のところ、最後の最後に一番相手にとって痛い報復とは何か? と考えてしまうと
それはあなたが、健やかに、楽しそうに活きていることなんです。
信じられます?

日本には、「憎まれっ子、世に憚る」という諺があります。
私の記憶が確かならば、人から憎まれるような人ほど、世間ではのうのうと生きている、みたいな意味だったと思います。
これはまあ、本当のことなんでしょうけど、でもちょっと視点を変えてみてください。
なんでこんな故事があって、今の世の中までずっと伝わってきてるんでしょう?
それってたぶん、私たちは、こんな諺が生まれるくらい、嫌いな相手が今どんな風に生きているのか気にしているってことじゃないかなと私は思います。
嫌だな、と思う相手がどんなふうに生きているのか、憎い相手のことほど、知りたくなる。昔っからみんなそうだったんですよね。
その気持ち、すっごくわかります。

だから、「リヴィング・ウェル・イズ・ザ・ベスト・リヴェンジ」
よく生きることは、最良の復讐です。

貴方は、貴方が憎いと思う人には憎まれていないかもしれない。
でも、その人がふと貴方のことを気にしたとき、
貴方が、「よく生きている」こと。

それほど、痛快な仕返しはないじゃないですか。