ハロウィンイベントやってます

10月1日から、上野店でささやかながらハロウィンイベントを行っています。

それに伴い、上野店の一部の装飾もハロウィンを意識したものに。

他にもたくさんありますけど、とりあえず二枚だけ。

こういうイベント事って良いですよね。
季節感を得られますし、ささやかでもなんだか特別な感じがします。

それにしても、ハロウィンかあ……。
なんででしょう? 日本に住んでいるとハロウィンってお祭りの中でもなんだか地味という気がしていました。
子供のころのトリックオアトリートって言いながらお菓子をもらってまわるお祭りという印象が抜けていないのかもしれません。
それがいつの間にこんなに市民権を得たのか、今では仮装する人々がテレビに映ってハロウィンを祝ってる。
心のどこかで、なんだかついていけないなあと思っていたりもして。
たまに聞くラジオが結構好きなんですけど、その番組でマンボウやしろさんが「ハロウィンってこんなに盛り上がってたっけ?」と言っているのを聞いて、うんうんとうなずいてしまったり。
……マンボウやしろさん毎年それを言ってるからなんかそれを聞くと、ハロウィンなんだなあとしみじみとハロウィンを感じたりも。
そのハロウィンにささやかながら自分がこういう形で関わるのも、なんだか不思議な気がしています。
占い館に居る間でも、仮装でもしてみようかなあ。
……びっくりさせてしまうかな、やめておこうかな。
なんだか、お祭りでも勇気がいりますね。
そういう意味では、今年も仮装してハロウィンを祝う人たちが、なんだかうらやましいような気がしてきます。

まあ、……仮装はやめときましょうか。勇気が出ません。
こんな簡単なことでも、何かをやってみるのって、本当に思い切りがいるんですよね。
仮装はともかくとして、だからちょっと一歩を踏み出すために、占いが必要だったり。
おお、すごい! 占いに話がつながった!
自分でもびっくりです。

……ま、仮装するべきかどうか自分を占うのはやめときますけど(笑
タロットさんにやった方がいいって言われちゃったら困りますから。

一文字違うだけで全然違う

こんにちは、お久しぶりの方はお久しぶり、初めましての方は初めまして。
占い師のルドルフです。

占い師をしていると、逆に占いばかりを突き詰めていくわけにもいかず、
最近は恋愛セミナーやお仕事のセミナーなんかにも顔を出すようになりました。
世情に疎いとどうしてもそれが占いに出てきてしまうんですよね。
だから、なるべく世の中のことを知るように情報を集めています。
自分がこれまで見聞きしてこなかったことを、改めて知るのはやっぱり面白いです。

さて、序文はこれまでにして、これは先日、その女性向けのモテ講座でお聞きした話です。

正確な数字は忘れてしまったんですが、最近の男性は50%の確率で付き合えると思っていても、
ほとんどの人は告白しないそうです。
70%、80%くらい確信ができて、はじめて告白をする。
だから、告白されたい女性の人は、自分がちゃんと相手に好きだとアピールしておくことが大事だそうな。

当たって砕けろ、なんて時代じゃないみたいです。
恋愛って一大事ですから、なかなか、砕けてもいいってわけにもいきませんもんね。
勇気がないって男性を責めたい気持ちもわかりますが、それはそれとして。
その講師の方はこうおっしゃってました。
モテたいなら、男性が告白「される」のを待つのではなくて、男性に告白を「させる」
ぶりっこになるとかって意味じゃないですよ?
告白しやすい雰囲気を作ってあげるとか、貴方にとって相手は特別なんだとちゃんと思わせるのが大事だそうな。

なるほどなあ、と感心しました。
告白されるという結果は同じなんですけど、そこまでの行動や心持ちが全然違うんですよね。
個人的にはこういう考え方結構好きです。
ただ待つよりすごく前向きな気がするじゃないですか。
で、そういう前向きな方って、やっぱり傍から見てても魅力的なんですよね。

さて、こういう素敵なことを聞くと、やっぱり翻ってみて自分はどうなんだろう? と
思ったりもするんですが、……まずはそういう相手がいないことにはですね。
って、そっか、こっちはする側か。

告白する勇気を付ける方法でも聞いておくんだったかなあ。

記事タイトルだけでも考えてみるとか

毎週ブログを書こうと思っていたのに、いつの間にか億劫になってしまって……
一週間が二週間に、ひと月に、気が付いたらこんなに経ってしまいました。

お久しぶりです。

そういえば、夏休みの宿題なんかもやらなきゃやらなきゃと思いつつなかなか手を付けられなかったり。
そういう癖ってこの年になってもずーっと残っているもので、駆け込み体質はいまだに直っていません。
すぐやるって大事なんですよね。
新しく始めることでも、中途半端に手を付けたまま放置されてしまっていたことでも、とにかく、やってみないとゼロはゼロのままですから。

と、いうわけで、今回は

[すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法]
……家に本を忘れてきてしまって、画像がないのが残念ですが……。
気になった方はこのタイトルで検索してみてください。

さて、この本によると、何かを始めるには脳に入る情報を極力するのが少なくするがいいそうです。
例えば、夏休みの宿題。
山積みになった教科書、問題集がどーんっと机に置いてあったら、それだけでげんなりしてしまいます。
脳は、その山積みになった教科書を見て、やりたくないって判断するみたいなんですよね。
だから、始めようと思ったら今日やる分だけを机に置いておく。
それどころか、極端な話、一日一問だけは必ずやると決めて、最低限それだけをやる。総量とかもう考えなくていいです。だって、それを把握してしまったらもう手を付ける気になりませんから。

一日一問だけじゃ夏休み中に終わらないじゃんっていう声もあるかもしれません。
大丈夫、冷静に考えてみてください。私みたいな人は、そう決めなかったら、一日一問だってやりません(笑
ということは、決めなかった自分よりも結果だけみたら一日一問やった分だけ先に進んでるじゃないですか。
それに、人間不思議なもので、ひとつ手を付けてしまうと、なんとなく物足りなくなって、ちょっと頑張っちゃったりするんですよね。毎日頑張ろうと思っちゃうと、また億劫になってしまったりするんですけど。
でも、そうやって、何かひとつだけでも手をつけてしまうのが大事なんですよね。

これって、恋愛でも仕事でも同じことが言えます。
気になるあの子をご飯に誘ってみたい。……どうやって誘おう? 嫌われたらどうしよう? って考えたら、動くのが大変です。
いきなり全部やろうとしたら、頭の中がいっぱいいっぱいになっちゃいます。
だったら、声をかけることだけ始めてみようとか、挨拶だけしてみようとか、それだけやってみればいいんです。
それがそのうちご飯に誘うことにつながってる。

仕事でも同じです。
毎朝、今日やらなくちゃいけないことをリスト化したら、一旦もうそれは視界に入らないようにしてしまう。
それから、優先順位の高いものだけを取り出して、それに手を付ける。
総量の情報は、今やっている仕事単体には無関係です。これをやったらあれをやって……なんて考えて脳にかかる負担を減らしてしまった方が効率がいい。
あれもこれもって考えていると、却ってなかなか手を付けられなかったり、だらだらしてしまったりするんですよね。

と、いうわけで
[すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な”方法]
とても面白かったです。
んー、何とかここに書いてあったこと、自分でも少しずつ実践していきたいんですけど……
全部やろうとしたら大変だから、とりあえず手始めに、新規投稿のページをクリックするところから始めてみましょうか。
そうしたら、気が付いたら1行2行と書かないと気がすまなくなってたりするかもしれません。

合羽橋通りもめっきり七夕の装いになりました。

んー、写真が下手で分かりにくいかもしれません。
通りに提灯と吹き流しが並んで、風にさらさらと揺れています。
この音を聞いているだけで、ほんの少しだけ涼しく感じられるような気がします。

七夕と言えば、短冊に願い事を飾る日という印象ですけど、
大人になるとそういうこともほとんどやらなくなってしまって、ちょっとだけ寂しい気がします。
今の自分だったら短冊に何を書くかなあと想像してみたりして。
んー、お金、とか、恋人、とか書くんでしょうか。それもいいんですけど、せっかく年に一回書くんでしたら、なんだかちょっと変わったことを書きたい気がします。

もうほんと、どこで聞いたのかも誰から聞いたのかも覚えていないんですけど、例えば新年に神社に行って神様にお祈りをするじゃないですか? 家族の健康を願ったり受験の成功を願ったり、でもあれって、本当は神様に「今年も一年ありがとうございます。今年はこうだったので、来年はこうします」って宣誓をするのが正しいみたいなんですよね。案の定、根拠も何も覚えてないんですけど、どこかでそう聞いたような。

なので、短冊にも~が欲しいって書くよりは、いっそ「来年の今日までに、私は~します」って書いてしまった方が清々しいかもしれません。願い事ばかり聞いてうんざりしている織姫と彦星も、突然の決意表明を見たら笑ってしまうかも。
「それなら頑張れ」って応援はしてくれそうです。

自分の願いを口に出して言えることって大事です。
自分がやりたいことがはっきりしているということですから。
それをさらに短冊に飾れてしまうくらいしっかりとした気持ちなら、きっとそのために動けるはずですしね。

うーん、短冊に何を書こうかなあ。
こんなこと書いてる自分でも、なかなかはっきり言葉にならないんですよね。

信じてるなら求めよう。そうしたら与えられるらしい。

恥ずかしながら、最近「7つの習慣」という本を読み始めました。
って、何が恥ずかしいのかさっぱりわかりませんね。
この7つの習慣という本、自己啓発関連の本では知らない人がいないくらい有名な本で、
ビジネスマンなら必ず一度は読んでいるというほどの名著らしいんですね。
私も名前は聞いていたのですが、2400円もするし600ページもあるし、
正直「自己啓発? それって役に立つの?」という気持ちもあって、
今日に至るまで読んでこなかったんですよね。
多分、そういう人、多いんじゃないかなと思います。
御多分に漏れず、私もそういう人間でした。

と、ここまで読むと「7つの習慣」はいいぞ! みたいな話になるんじゃんないかと警戒される方もいるかもしれません。
そういう話がまるでないとは言いませんが、今日の話題はちょっとだけずれてます。

7つの習慣を読み始めて、すぐにこの本に対してひとつ誤解を持っていたことがわかりました。
それは、「この習慣をひとつかふたつつまみ食いして毎日続ければ、それで人生はよくなっていく」という誤解です。
例えば、毎日メモを取ろうとか、怒りを感じたら3秒深呼吸をしようとか。
そういう行動に関する本だと思っていたんですよね。
ところが、この本の中身は違いました。
これは、習慣の内容をひとつ紹介した方が早いかもしれませんね。

ひとつ目の習慣、それは「主体的に生きる」

七つの習慣は、「あなたの人生はすべてあなたの選択で成り立っている、それを自覚しなさい」と言ってきます。
例えば、客先で理不尽なクレームをもらったとき、落ち込んだり怒りがこみ上げてくることですら、
その事と感情の動きの間に、「あなたは自分がどう感じるのか選ぶことができる」というのです。
そして、これを習慣にしろと。
……すごく難しいことを言いますよね。
簡単にはできそうにありません。

でも、この本はそれを前提にして、二つ目の習慣を提示してきます。
「あなたの人生の目的は何ですか?」と。

正直に言います。
私は、ちょっとおもしろいなと思いました。
ここに書かれていることをそのまま実践できるかはわかりません。
ですが、ここに書かれている通りに生きることができたら、どうなるんだろう?
とは思ったわけです。
だからまずは、この眉につけた唾を拭って、ちょっとやってみようかなと思っています。

さて、実はここからが今日の本題です。
聖書にこのような言葉があります。

『求めよ、さらば与えられん』

「求める」ってどういうことなんでしょう?
「あれほしいなあ、こうなったらいいなあ」日々思うことは沢山あるかもしれません。
これって、一般の感覚では求めてますよね。
でも、全然与えられてる気がしない。……いえ、別の効果で与えられることもあるんですけど、それはまた別の機会に書くとして。
じゃあ、この言葉はただの気休め? 
うーん、ちょっと待ってください。
例えばこういうのはどうでしょう?
ちょっと小腹がすいた時、ポテトチップスがほしいと思う。→これって、ポテトチップスを求めてます。
求めるには、欲しいと思うというニュアンスがあります。
どうにも我慢できずに、コンビニエンスストアに買いに行きました。レジカウンターにポテトチップスを持っていって、
「これください」というわけです。→これも、日本語ではポテトチップスを求めるといいます。
求めるには、買うというニュアンスがあります。
厳密には、辞書には「欲しいと要求する」と意味が書かれているんですよね。

話を戻しましょう。
「七つの習慣」ちょっとおもしろいと思いました。
この本で何かを得られるなら、信じてもいいかなと。
だから読んでみているんですけど、これは求めたことなるでしょうか?
多分、違いますよね。
ここに書かれていることを、実践してみないと、この本に書かれた結果を求めたことにはならない気がします。

思うに、物事って大体そういうものなのかもしれません。
ポテチ買いたいなと思ったんですけど、コンビニエンスストアまで足を運んで、「ください」と私は言っただろうか?
そんなことを思ったわけです。

さて、まだまだ読み途中ですが、信じる者は救われるとも言いますし、
折角ですから「七つの習慣」が示す未来を求めてみましょうか。

幸せになるための質問

先日、質問力に関する本を読みました。
その本には、どのような質問を自分に対して抱くことができるかが、
人生をより良くするというようなことが書かれていて、
なるほどなあと、感心しきり。

世の中を生きにくくする思い込みのひとつに、「世の中には正解がある」というものがあります。
何かで迷ったとき、あるいは二者択一を迫られら時、
どうするのが正解なんだろう? と考えてしまう思い込み。
本当は正解なんてどこにもないのに、何かが正解で何かがハズレだと無意識に思ってしまう。
だから、あるかどうかもわからない正解を解くための「式」を見つけようとしてしまう。
正解があるかもわからないのだから、それを導くための「式」なんてあるわけがないんですよね。
結果として、何も選べなくなってしまう。
選んだとしても、本当はあっちが正解だったのでは? なんて悩んでしまうことになる。
子供のころから、ずっと正解を導く練習をしてきた私たちは、だから、正解がない問いにとても弱いんです。
それは練習してきませんでしたから。

人生をよくする問いには、正解がありません。
だから、私たちは人生を良くするのは苦手なのかもしれません。

「どうやったら私の人生はより良くなりますか?」
「あなたの本当の望みはなんですか?」
人によって答えが違います。
正解はありません。
でも、正解はないと受け入れてしまえたら。
もう後は、思いついたことは全部やってみるしかない。
なるほど、好きな考え方です。
幸い、私には占術という良き相談相手もいますしね。

早速試してみることにします。
さしづめ、「貴方のお役に立つにはどうしたらいいですか?」
ゆっくり考えてみましょう。

良い本を読みました。

一期一会の観劇がめっきり趣味になりつつあります。

こんにちは、ルドルフです。
上野店のすぐそばに、ストアハウスさんという劇場があるのですが、最近、そちらで行われる劇を観るのが趣味のようになっています。
毎週、占い館に立つたびに次の劇団さんと公演内容を確認するのが秘かな楽しみなんですよね。
劇団四季や宝塚のような大きな劇場ではありませんが、観劇してみると小劇場小劇団なんて関係ないって思わされます。
どれも本当に面白いんですよね。
それでついつい次の週の別の劇団さんも観たくなってしまったり。

きっかけは、劇団Birthさんの「オルゴール」という舞台でした。

(ポスターを写メしたものです)
大人になっても続く友情や絆をテーマにした舞台で、劇場の広さもあって他のお客さんのすすり泣きの音や、役者さんの息遣いがとてもリアルで、一発ではまってしまったんですよね。
聞けば、こちらの劇は少し改変して中学高校で上演する予定があるとのこと(もうやったのかな?)、納得のテーマですし、それも見てみたいなあ……。中高生じゃないのが残念です。

次に見たのが、劇団シアタースカイさんの「鬼姫」

こちらは殺陣が本当にすごかったです。時代劇を舞台でやるのってすごく難しいと思うんですけど、全然違和感なかったです。
幕が上がるのと同時にプロジェクションマッピングで解説が入るのがまたかっこよくて、否応なく期待が膨らんでしまいます。
ストーリーも王道の復讐ものと見せかけて、最後に独白されるヒロイン鬼姫の心情がまた……そう来たかあと唸ってしまいました。
……ちょっとルパン三世を思い出してしまったのは、共通点あるのかないのか、難しいところです。

そして、一番直近、最後に見たのがナナシノ()さんの「一時間後の、僕。」(一僕と略すそうです)

こちらは、アナウンサー、とりわけ実況アナウンサーをテーマに取り上げた群像劇です。
入り組んだ仕掛けがされた舞台で、一度見ただけではわからないところが多く、それでもとにかく面白くて、その日のうちにもう一度見に行ってしまいした。
アナウンサーの劇なので、素人が見ても難しいセリフや表現、長セリフなども多くて、でもそのシーンがいちいち印象的なんですよね。
特に好きなのが、出だしの演出。
開演前から舞台の上で思い思いくつろいでいた役者さんが、「本番始まります」の掛け声とともに歌いだすのですが、もうそこからの一連の演出が圧巻でした。このオープニングはDVDで何度も見返したいと思いました。

どの劇を思い出してもちょっとにやにやしてしまいます。
占い探偵ルドルフとしては、こんなに面白いことがまだまだ沢山あるんだなということ知らなかったというのが、なんとも不甲斐ないです。

小劇場での舞台でもそうですけど、ちょっと勇気を出して踏み込んでみると意外な発見や面白いことって、まだまだ沢山あるみたいです。
そういうアンテナもっと広げていきたいところです。

そうそう、これだけ楽しく語ってしまったのに、この劇たち、実はもう千秋楽を迎えてしまっています。
小さい劇場での劇は公演回数があまり多くなくて、一週間で見られなくなってしまうのも沢山あるんですよね。
それこそ本当に一期一会。
もう一度観たいなと思うんですけど、すぐにはそれは叶いそうにない。
だから、この楽しかった観劇の思い出を、何度も何度も反芻してしまうんですね。

写真もないのにお花見の話

こんにちは。
占い師のルドルフです。

先日、お店の近くの上野公園のお花見に行ってきました。
お花見といっても、気の合う仲間と夜桜を見ながらお酒を飲んでいたわけではなくて、
実はお花見をしている方々を占いに行っていたんですけど
皆さん喜んでいただけてとてもよかったです。
時間を計っているわけではないので、楽しそうにされているとついついこっちまで長々とお話ししてしまったりして、
なんとも得難い経験をさせていただきました。
占わせていただいた方皆様が、この新年度を良いスタートをきれるよう、心から応援しております。
そのお役に立てたなら本当に幸いです。

それにしても、実は宴会している方に自分から声をかけて占いをしようだなんて、
これまで考えたことがなかったから最初は本当にドキドキしました。
これはちょっと違うのかもしれませんが、行楽地でナンパなどをされる方って本当にすごいなと、あらぬところに感心してしまったり。
冗談とか、揶揄ではなくて、そうやって他人にぶつかっていけるのは強いなあと思ったわけです。
私はそういう風には生きては来なかったので、その強さは羨ましいし、見習いたいなと。
人生、いろいろなことをしてみるもんですね。

……で、実はもう緊張しっぱなしで、桜の写真も撮ってなかったんですよね。
ほんと、見習わなくてはいけません。

占い探偵ルドルフ

友人が誕生日のお祝いにと書いてくれました。
本当にありがたいです。
この気持ちを、こう……なんだろう? わくわくするような、ありがたいっていう気持ちのような、とにかくいろいろな暖かい気持ちがないまぜになった気持ちをうまく言葉にできなくて、ちょっと困っています。
贅沢な悩み事ですよね。

さて、今日は「二兎を追うもの、一兎をも得ず」について書いてみたいと思います。
あるいは、「真実はいつもひとつ」とか?

実は、先日、占い館に来る途中ちょっと気になる親子連れを見つけたんですよね
お母さんが、男の子に「ダメだよ、二兎を追うもの一兎をも得ずだからね」と言い聞かせていて、
正直、あまりそういう風に言葉に出して言うのは珍しいなあと思ったのを覚えています。
どんな会話の拍子にその言葉が出てきたんでしょうか、ちょっとわからないんですけどこの言葉、どう思いますか?

今更この諺の説明も必要ないでしょうが、別の方向に逃げる二羽のウサギを両方とも追ってしまったら、結局、どちらも手に入らない。
転じて、欲を出して同時に二つのことをやろうとすると、結局どっちも失敗するという諺です。
これは確かに、説得力のある諺ですよね。
そうなんだろうなって、私も思います。

でも、どうでしょう?
何かひとつのことに集中してしまうって、すごい力を発揮しますが、同時にとても危険ことでもあります。
だって、その時、その人には、それしかないんですよ?
もしも、結局それでウサギを捕まえられなかったら?
ウサギを捕ることだけに集中してしまった人は、それからどうしたらいいのでしょう?
……その経験を生かして、またウサギを捕まえに行ければいいんですけど……。

何かに集中しているということは、それだけそのことに依存しているということでもあります。
だからそれがダメになってしまうと、途端に人は不安になってしまう。
自分には何もないと感じてしまう。
実は、不安に対処するわかりやすい方法のひとつは、依存するものをできるだけ多く事なんです。
足場がひとつだと、それが崩れたらその人はもう倒れるしかありません。
ですが、それが二つだったら? 三つだったら? どれか一つが崩れても、まだ残りの足場に立っていられます

だから、私はこう思います。
いいんです、二兎でも三兎でも追えば。
二兎だろうが三兎だろうが、ちゃんと追えば、それには意味があります。それは絶対です。言いきっちゃいましょう。
(もともと、二兎を追うもの一兎をも得ずって、二兎を追った結果どちらも疎かにしちゃうからなんですよね)

だから「何か目標を見つけたら、それだけしかやってはいけない」なんて、思い込まなくていい。

集中すればうまくいく人もいます。
でも、沢山のことに手を出して、失敗してきたから、新しい何かを見つける人もいる。

こうじゃなきゃいけない生き方、なんて、世の中にはないんです。

さて、私もまた年を経たことですし、二兎でも三兎でも、好きな数の兎を追いましょうか。

その座席の価値を僕はまだ知らない


上野店のすぐ近くの小劇場「上野ストアハウス」さんのところで観劇をするのが専らの趣味になりつつあります。
どうもこんばんは。ルドルフです。
公演回数の少ない小劇場で行われる演劇には一期一会の趣があって、
今この瞬間じゃないとこれは見られなかったなと思うと、ちょっと値が張ってもつい見たくなってしまうんですよね。
まあ、これも縁です。
占い館のすぐ近くに小劇場があったのが運の尽きというか、運が良かったというか。

さて、今回はずいぶん前にあったちょっと印象に残ってるエピソードです。
いつのころでしたっけ?
聞かれてもわからないと思いますが。
もうずいぶん前のこと、電車で自宅に帰る途中、優先席の前に吊革につかまってぼーっとしていたら、
目の前の優先席に座っていたおじいさんに声をかけられました。
シュッとした体形の、なんだかダンディなおじいさんだったのを覚えています。
間もなく到着する駅の名前を告げるアナウンスが社内に鳴り響く中、おじいさんははっきりと私に向かって、
「どうぞ」
と、立ちあがり、私に席を譲ろうとしたのです。
戸惑う私に、そのおじいさんは、
「もう私は降りますから」
そうは言っても、そこは優先席です。
座っていいものなのか、周りの目も気になってまごまごしていると、そのおじいさんは
「(次に座る人も)空いている席に座るより、貴方に譲ってもらった方が嬉しいでしょう?」
そう言って、にっこりと笑いました。
いや、もうほんと。
そんな席の譲り方もあるのか!? と、その時は衝撃でした。軽いパニックにもなりました。
目の前のおじいさんは紳士すぎるし、そんなこと言われて座らないわけにもいかないし、
私はうまく席を譲ることができるのだろうか? なんて、よくわからない緊張感に包まれるし。
程なくして、電車は駅に着き、そのおじいさんは降りていきました。
私はというと、最初は何とか座っていたものの、恥ずかしいやら緊張やらで、
ものの数分とそこに座っていることができず、結局、車両を変えました。
後であの席に座った人は、その席でそんな葛藤があったことなんて知る由もありませんね。

あの電車での出来事、これからもきっと事あるごとに思い出すんでしょうけど、
私はそれをどう消化すればいいのか、いまだによくわかりません。
今日はただそれだけのお話です。