
一線を越えたのは、計画でも覚悟でもなかった
ふと空いた“ぽっかりとした時間”
その日は、たまたま仕事が早く終わった日でした。
家にまっすぐ帰る気になれなくて、
なんとなくカフェで時間をつぶしていたら、
彼からメッセージが届きました。
──「今どこ?」──
たったそれだけの言葉なのに、
胸の奥が一瞬でざわつくのだから、
この頃にはもう自分でも気づいていたんだと思います。
“会いたいんだな”って。
そして、“会いたいと思っている自分もいる”ことにも。
なんの抵抗もなく「いるよ」と送った
本当は少し悩みました。
でも、悩んだ時間は驚くほど短くて。
気づけば、
「近くにいるよ」
と返していました。
この返事をした瞬間、
もう何かが少し動いてしまった予感がありました。
軽く食事するだけのつもりだった
合流して、いつものように軽く食事をしました。
会話もいつも通り。
冗談を言い合ったり、仕事の愚痴を聞き合ったり。
なのに、
どこかいつもと違う“静かな緊張”みたいなものが
ふたりの間に流れていた気がします。
それでも、
この時点ではまだ何も起きるはずがないと思っていました。
ほんの少し前までは。
別れ際の「このまま帰るの?」
食事を終えて外に出た時、
夜の空気が少し冷たくて、
なんとなく並んで歩きながら駅の方へ向かいました。
駅が見えてきたあたりで、
彼がポツリと、
「このまま帰っちゃうの?」
とつぶやいたのです。
深い意味なんてないように聞こえる言い方なのに、
その一言がまっすぐ胸に入ってきました。
帰るつもりだったのに、
足が勝手に止まってしまいました。
言い訳のような、“大丈夫だよ”
気まずい沈黙が少しあって、
彼が、
「ちょっとだけ話せる場所あるよ、近くに」
と、本当に軽い感じで言ったんです。
その軽さが逆に、
断る理由を全部奪っていきました。
私は、
「大丈夫だよ」
と答えました。
その“大丈夫”の意味を
どこまでわかっていて言ったのか、
自分でもはっきりしません。
小さなホテル街の手前で、ゆっくり歩いた
歩くうちに、街の雰囲気が変わっていくのがわかりました。
明るい通りから、少し静かな路地へ。
その途中に、
ビジネスホテルや小さなホテルが並んでいるエリアがあって。
彼は前を向いたまま何も言わなかったけれど、
歩く速度がわずかにゆっくりになりました。
たぶん私も、同じくらいゆっくりになっていたと思います。
この時点で、
もう決まっていたのかもしれません。
手をつないだのは、向こうからだった
ホテルの前まできた時、
彼がふっと私の手をとりました。
驚くほど自然で、
驚くほど抵抗がありませんでした。
ドキッとしたというより、
“ああ、こうなるんだ”
と、どこかで納得してしまうような、静かな感覚。
そのまま、
彼に導かれるようにして建物の中に入りました。
境目が消えた夜
部屋に入った瞬間、
現実なのに現実味が薄いような、変な感覚になりました。
彼が少し照れて笑った顔を見た時、
胸の奥にあった迷いが、ふっと消えていったのを覚えています。
キスをされた瞬間、
もう引き返すという選択肢はありませんでした。
感情が先なのか、
身体が先なのか、
自分でももう区別がつきません。
ただ、
境目が完全に消えた夜でした。
次回予告:第7話
一線を越えたあと、
張り詰めていた糸が切れてしまったように、
感情が止まらなくなっていった。
冷静になるべきなのに。
それでも抑えられなかった気持ちについて、
次は書いていきます。
続きはまた次回