おはようございます!読まれたタイミングで、違うかしら。

 今、美桜は友人のお招きに預かり、急遽京都に来ています。

 初冬とも暦の上ではありますが、こちら京都は小春日和のような暖かさです。友人宅が嵯峨野嵐山近くにあり、毎年美桜が初詣に必ず訪れている神様のまさに近くで、そのご縁にびっくりしています。

 友人はとてもフレンドリーな人柄で、多くの友人を京都別宅にご招待されてるのですが、私はなかなか予定が合わず二年越しに実現しました。京都は私の第2の故郷でもあり、若き頃から鑑定士の礎を築いた場所でもあります。

 京都は東山に縁があり、私の大体の守備範囲は清水寺から二年坂、三年坂から高台寺、八坂、祇園、北に上がると岡崎公園、吉田、黒谷真如堂、出町柳あたりまで、東は曼珠院、詩仙堂、繁華街木屋町、祇園、河原町、寺町、新京極三条京阪、が得意な場所です。

 嵯峨野あたりは1年に1度訪れている程度で、神様にお会いすることが目的で、嵐山はともかく特に嵯峨野あたりはまだまだ未開です。

 京都は盆地で夏暑く、冬は凍てつく寒さで気候的にはハードな街ですが、その分、季節の移ろいを肌で感じられる場所でもあります。

 また、暮らす人々はパリの人に似てる気がします。歴史はあるけれど、古めかしくはなく、やはり貴族文化が根底に流れているような華やかさもあります。

 旅では美しい景色に出会い、ご当地の食材に舌鼓を、が基本です。

 今回は魚群探知機のような美桜の直感力を発揮でき、友人を遠い先斗町まで案内させずともよかったです。

 今回も『note』に書き連ねた中からの抜粋になります。           一流の人には気概と華があります。学びも大きいと美桜は感じます。

 毎日をひたむきに生きている、そんなあなたにもし、困難が待ち構えたとしても、その先に光明を見いだせますように。  今日も美桜はあなたの味方です。    よい1日をお過ごしくださいね。

以下からです。よかったら一読あれ。

 京都は一流の料理人が凌ぎをけずり、また、一切の妥協を許さない街でもある。
 何百年いや、千年の歴史を超えて育まれてきた伝統、風土。そして厳しい夏の暑さと比叡おろしのきつく冷たい冬。
 
 料理人たちは季節の移り変わりを一枚の皿に表現し、私たちは一枚の皿の中に旬の味と一瞬一瞬の季節の彩り、その空気感までもいただく。

 今日もまた、若き料理人に見事にやられた。
舌を持っていかれたのである。
 白木のカウンター越しに、軽やかな談笑をまじえたやり取りの中で、美しく食材を扱う手捌きに見入ってしまう。

 透き通る油の中に放たれた旬の京野菜たちが、小さな揚がりを知らせる音とともに表情を変え、私の前のお皿に差し出される。
さらさらとした昆布塩、歯応えを残し丁寧に仕上げられた大根おろしに、揚げられた京人参をさらっと絡ませ口へ。何に絡ませるのか、料理をいただくこの時にも選択という決断に一抹の緊張すら覚えるのは一概に大袈裟なこととも言えない。
 
 客に一番の美味しさを味わってほしいと粋を極め持てる技の全てを注ぎ込んで出された料理と作り手への礼でもあり、食いしん坊の自分への幸せの選択でもあるのだから。
新たに出会う味にみる驚きと発見。この瞬間がたまらないときだ。

 京都嵯峨野に新たに店を構えられたそのお店に運良く出会えたことに感謝したい。

 嵐電嵯峨から程近い、少しだけ通りから奥まった店の前を通りかかった時、古い日本家屋を改装されたと覚しき店の前から若草色の初々しさと、薄黄檗色の波動を感じたのは、偶然ではなかった。

 名店で修行を重ね、晴れて店を開店された若き店主の、若竹のようにのびやかな未来への予感を若草色に、しっかりとした技と丁寧に客をもてなす姿勢に一流の品格を薄黄檗色に見たのだと思う。そしてそれは、暖簾をくぐり初めてお目見えした若き店主と若女将の其々のカラーそのものでもあった。

 私事で恐縮だが自身の動物的直感力にも我ながらありがとうを言いたくなった。
学生時代を含め、初めて訪れた場所での食事の場所選びは、外さないとの定評がいつからか付き、私の使命にもなっていた。食いしん坊が手伝ってさらに磨きがかかったのだろう。

 紅葉が最後の見納めのこの時期の京都嵯峨野。
紅葉も素晴らしかったが、それよりも食い気の美桜であったのは言うに及ばず。
食べることは口の福、『口福』とはうまく言い得た表現だと思う。

 保津川ベリの赤く、黄色にみだれ散る美しき季節の中で、本当に魂が喜ぶ味に至福の時を過ごせた今日この時に感謝。
 今この時の毎日に感謝し、これからも人との出会いを大切に紡いでいきたいと、幼き頃から手を合わせてきた嵐電沿いの神社に詣で神様に祈った。

  
 毎日を誕生日のような気持ちで。
明日も天気ななあれ! 
  ハートフル自由が丘 占い鑑定士 美桜🌸