今どきらしい寒さの金曜日。
昨日からちょっと冷え込んでましたので、今日は朝寝坊して一日あったかくゆっくりしました。
さて今日のタイトルにも書いている通り、かつては私が子どもの時から、子どもらしく感情を表に出して、わんわん泣いている姿を見るのが嫌いでした。
それは思い返せば、親になり子育てしている時もそうでした。
『どうして私は泣きじゃくる子どもが嫌いなんだろう。許せないのだろう。』と泣いている娘を見て考えました。
思い返すと私が小学生になり、ある程度親が話す意味がわかってきた頃を思い出しました。
母親としては私に子育ての苦労をわかって欲しくて話しただけなのかもしれません。
私が産まれて間もない頃、私が夜中に泣き止まなくなり、母親がなんとか泣き止まないかとあやしているとジッと顔を見つめてきたり、天井に何も無いのに見つめているのが不思議だったと語っていました。
新生児は真夜中でもかまわず2、3時間くらいで起きては、お腹が空いた、オムツが濡れたと泣くことも多いですが、育児をしてみて眠れないわからないという、その苦労はわかりました。
ただ泣くことについて、なぜ自分はこんなにこだわるのか、赤ちゃんは悪くないのに自分は悪いことをしているように思ってしまうのか?と探求していました。
そこで気がついたのは、母から聞いた自分が夜中に泣き止まなかったという話が自分が泣いて母親を困らせたという記憶になったということでした。
泣くこと🟰悪いことになっていたのです。
それと同時に自分が感情を表に出すことにも抵抗を感じるようになりました。
その結果私は親に『何を考えているかわからない子』と言われて育ちました。特に思春期は親と話すことも少なくなったりするので、なおさらだったでしょう。個人の性格もあると思います。
それと並行して、泣いている子どもを見かけると私は恥ずかしい姿だと思って軽蔑するようになりました。
つまり泣いて自由に感情を表現している子どもというのは、自分がやってはいけないことだと思っているので許せないという思考に結びついていたようです。
本当は自分も同じように、泣きたい時に泣いて感情を表現している自分を、親に受け入れて欲しかったのだとわかりました。
このように無意識に自分が自分に制限していることを他人がしていると許せない気分になるという話はカタチを変えてさまざまに存在します。

誰かに対する許せないは、本当はあなたが許されたいことなのかもしれません。
フォーギブネスのカードが告げる許して欲しい本当の対象はあなた自身です。