☆娘の一言で、手放せたもの
娘が中学生の頃、急に帰りが遅くなった時期がありました。部活もサボりがちで、生徒会の役員として体育祭や学園祭の準備に追われていたようです。男の子の影も少し見えて、私は「これは引き締めないと」と心配を強めていました。

そんな時、娘からこう言われました。
「お母さん、私を信じて。大丈夫だから」
最初は正直、腹が立ちました。でも、そこまで言うならと、心配するのをやめる決断をしました。私が心配したところで現実が良くなるわけでもない。むしろ良くない方に引き寄せるくらいなら、自分の責任の範囲のことだけをしっかりやろうと切り替えたのです。
そうしたら、娘の帰りが以前より早くなりました。もちろん、心配をやめれば必ずうまくいくという単純な話ではないと思います。ただ、少なくとも私と娘の間では、監視をやめたことが結果的に良い方向に働きました。
監視や心配の視線を強く感じると、人は無意識に反発したり、隠れて行動したりします。そして反発してしまう自分に、余計に罪悪感を募らせる。
この矛盾に気づいて、そこから自由になれれば、親も子どもも救われるのだと思います。
私はあの時、「子どもをコントロールしたい」という気持ちを手放すことができました。
☆なぜ手放せないのか
支配欲の根っこには、いくつかの要因が絡み合っています。
• 子どもの将来という「コントロールできないもの」への恐怖
• 自分と子どもの境界が曖昧で、子どもの失敗を自分の失敗のように感じてしまうこと
• 「良い母親であること」でしか自分の価値を確認できないこと
• 自分自身が果たせなかったことを、子どもを通して修正しようとすること
共通しているのは、支配欲が向けられる対象は「子ども」でも、本当に解消しようとしているのは「自分自身の不安」だということです。
手放せないのは、子どものためではなく、自分が不確実さに耐えられないからなのだと思います。
私が娘との関係で手放せたのは、この不確実さそのものを受け入れられたからでした。
でも、同じことが社会のスケールでも起きている気がしています。世の中には、手放せていない思い込みが、まだたくさんあるのではないかと。
☆「氷河期の物語」を手放せない社会
就職氷河期世代について、大正大学教授の海老原嗣生氏は、世間で語られているほど深刻ではなかったという見方を示しています。
20年前の氷河期が今も影響を及ぼしている事実はほとんどなく、当時不遇だった人の大半も、今では人生を立て直せているというのです。
それでも「氷河期世代は一生不遇」という物語は、繰り返しメディアで語られ続けています。一度作られた物語は、統計が変わっても、なかなか手放されない。
それはまるで、子どもの成長を認めず、いつまでも「あの時の危うい子ども」のイメージで見続けてしまう親のようだと思いました。
私自身は運良く新卒で正社員として就職できましたが、そこを離れて非正規で働くと、二度と正社員には戻れない構造がありました。
実際、私は資格が必要な金融機関の専門職として派遣で働きながら、13年間、職を転々と繋いできました。フルタイムで自転車操業のような日々で、二度と戻りたくないと思うほどでした。
統計上の「氷河期は思ったほど深刻ではない」という話がどうであれ、私自身が転々としてきた実感は、紛れもない事実として残っています。

☆「派遣」というレッテルを手放せない世間
派遣という響きには、日雇い労働者的、あるいは無責任な仕事ぶりといったイメージがつきまとうことがあります。
しかし実際に私が担っていたのは、資格がなければできない専門性の高い仕事でした。その制度は今はなくなり、専門性による区別ごと失われて、本当にひとくくりにされてしまいました。
これも、実態と関係なく、ある属性やグループに負のレッテルを貼り続ける社会の姿だと思います。
派遣とひとくくりに言っても、その中身は職種によってまったく異なるのに、世間はそのイメージを手放そうとしません。
一方で、交通費が時給とは別に支給されるようになったことや、長く働けば正社員に近い立場になれる道ができてきたことなど、待遇は少しずつ良くなってきています。
☆手放した先にあったもの
娘への支配欲を手放したとき、私が得たのは、娘自身の力を信じるという新しい関係でした。
転々としてきた13年間についても、最近は「戻りたくない過去」としてだけでなく、いろんな職場の裏も表も見てきた経験として、少し違う見方ができるようになってきました。
これも一種の「手放し」なのかもしれません。世間の物差しや、自分の中の古い解釈を手放して、今の自分がその経験をどう受け止め直せるかに目を向けてみること。
子育ても、社会の物語も、自分自身の過去の解釈も、握りしめたままでは見えてこない景色があるのかもしれません。