渡さない手紙を書いてみませんか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

☆きっかけは一本の映画だった

ブラック・スワン』と『パーフェクトブルー』。どちらも、誰かの理想やコントロールに呑み込まれそうになる女性を描いた作品です。バレエの美しい映像と、身体が壊れていくような痛々しい描写が同居する『ブラック・スワン』。アイドルという虚像と、女優として生きようとする本人の間で揺れる『パーフェクトブルー』。

観終わったあと、私の中に残ったのは「自己価値」というテーマでした。誰かの期待や理想に応え続けることでしか自分を保てなくなる怖さ。そして、それを手放したときにようやく訪れる解放感。

そこから自然と、自分自身の話につながっていきました。

☆過保護という名の支配

私自身、親から過干渉ともいえるほどのコントロールを受けて育ちました。自分ではどうしようもないことで何度も責められたり、子どもの頃は門限が夕方5時で、1時間遅れただけで外に締め出されたこともあります。社会人になってからも門限のことを言われ続け、「残業があるから無理」とようやく伝えて、少しずつそれもなくなっていきました。

今の基準で見れば、これは「厳しいしつけ」では済まされない話かもしれません。でも当時は、それが当たり前だと思って育ちました。

☆直接対話という、ハードモードの選択

大人になってから、私は思い切って母に「あれはおかしかった」と伝えました。最初は逆ギレされました。母の日にプレゼントを送ったら受け取り拒否されたこともあります。それでも感情的にならず、何度も冷静に説明を重ねました。最終的に、母は謝罪してくれました。今では、あの受け取り拒否のエピソードも笑い話になっています。

関係は、そこから確かに良くなりました。

ただ、これは正直かなりの賭けだったと思います。誰にでも勧められるやり方ではありません。相手の感情的な反応をその場で受け止める胆力も、何度も同じ話を繰り返す粘り強さも必要です。うまくいく保証なんてどこにもありませんでした。

☆みんなにラスボス戦を勧めたいわけではない

同じような年代の友人と話していると、両親のどちらか、あるいは両方がすでに亡くなっているケースも珍しくありません。直接対話という選択肢そのものが失われていることもあります。

それに、そもそも直接対決は誰にでもできることではありません。ゲームでいきなりラスボスに挑んで返り討ちにあえば、心が折れて二度と挑戦したくなくなってしまいます。まずは小さなスライムを一体ずつ倒していくように、少しずつ自分の感情と向き合う練習をしていく方が、ずっと現実的なはずです。

☆渡さない手紙という選択肢

そこでおすすめしたいのが、「渡さない手紙を書く」という方法です。

実際に相手に渡すかどうかは関係ありません。大切なのは、自分の心の奥にずっと閉じ込めていた気持ちを、言葉として引っ張り出し、その存在をちゃんと認めてあげることです。

誰にも見せなくてもかまいません。書くという行為そのものが、頭の中でぐるぐる渦巻いていた感情に輪郭を与え、「そうか、私はこう感じていたんだ」と自分自身で確認する機会になります。これは実際、グリーフケアやトラウマケアの現場でも使われている手法だそうです。

相手がもうこの世にいない場合でも、渡さない手紙なら関係なく書くことができます。誰かに読ませるためではなく、自分自身のために。

☆スライムから、少しずつでいい

私のように直接対決までたどり着けた人は、おそらくかなり稀なケースだと思います。だからといって、それが唯一の正解というわけでも、目指すべきゴールというわけでもありません。

渡さない手紙を書くことも、誰かに話を聞いてもらうことも、日記に書き留めることも、全部同じように意味のある一歩です。ラスボスに挑まなくても、旅の途中で十分に強くなれた実感があれば、それだけで十分だと思います。

もし、心のどこかにまだ言葉にできていない何かを抱えているなら。誰にも見せなくていいので、一度、渡さない手紙を書いてみませんか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*