ある女性が言いました。「できれば結婚したい」そしたら私も幸せになれるでしょうか。このとき「結婚していないわたしは幸せにはなれない」といっているのと同じなんですね。
だから、どんな自分でも受け入れることができる「無条件に幸せな状態」でいられるという話を書きます。
どうなると幸せという条件はない
誰かの幸せは自分の不幸せといわれるぐらい、まったくあてにならないものです。例えば、
早く孫の顔がみたい
結婚してほしい
大学にだけはいってほしい
親の面倒をみてほしい
いやいやいや、それは誰かさんの幸せの定義付けであって私の幸せとはかけ離れてしまっています。例えば37歳になるまで、好きな仕事ができて働いたお金で好きなものが買えて、好きなことができていた。とっても幸せでしたが、何か問題でもありましたか。という話ですよね。
自分で決めて、よかれと思ってやっていることを他人がとやかく言う筋合いはないです。
言われたら、気にせず「ふーん」とでも言っておきましょう。
誰かの幸せになることを目指して生きている訳ではないはず。誰かに言われて結婚したとしても、学校に入ったとしても、自分の意志で決めたことでない限りは、困難なことがあっても思いが強くないので続かなかったり、イライラしたりするかもしれませんね。
イライラするのは自分で決めていないから
イライラしているのは、勝手に幸せになるというハードルを上げてしまっているんですね。それが他人から言われている、とんでもなく難しいと思われる無理難題だからです。
自分は幸せではないという言葉に縛られてしまっているんですね。
こんな自分でも幸せと思える
高いところを目指すとまだ自分には足りない、劣っていると感じてしまうかもしれませんね。だから、まだ足りないと不満ばかり。
「こんな自分でも幸せですと感じてしまうこと」から逃げたいのです。
無意識に他人と比較して考えてしまっているのです。
もう比較するのはやめてみよう。そして幸せになるために不幸の要素をクリアしようと頑張っている。
もしそれが自分だったなら「かわいそうなオンナ」と思われているかもしれないです。
女性として、美しく。華やかに生きられるのはどういうときでしょう。
そのままで良い。無理しなくとも良いのです。ここだけの話。結局、周りはそれほど気にしていませんから。できていないからといって仲間外れにされるということは起きないです。
それならとっくにみなさんは、外れていらっしゃることでしょうね。
感情や考えかたに迷った時はタロットで見てみましょう。
幸せはいつもそこにあります。
まんまマリア