【ブログ】

一人前になるということ

生きていれば良いことも悪いことも楽しいことも予期せぬ問題も起こります。何もない人はいません。受ける喜びやダメージは人それぞれですが、その出来事全てを人生の糧に変えていく必要があります。

一生懸命頑張ってもうまくいかない、努力してもなかなか実らない・・・それは、よくあることです。自分だけではないんです。でも、思い通りにならない時こそ人として成長して一人前になるチャンスでもあります。では、どうしたら成長して一人前になれるのか。

耳の痛い話も自分に不都合な話も聞く勇気ができたら一先ず成長です。そして、それを実行できたら「一人前」なんです。人の言うことをただ聞くということではなく、自分の中の足りないものを人の意見や考え方からアドバイスを頂くという事です。そして、確実で誠実な行動です。自分都合ではなく。

私も叱咤激励を頂くことがあります。その全てに感謝し、頂いた言葉を自分の中で何度も咀嚼して理解を深めながら自分が出来ることから実行していく作業をコツコツとしています。例えネガティブな言葉であっても、そういう人がいるという学びは確実にある訳ですから悲観的になる必要はありません。簡単に言いましたが、とても難しいことです。

別に一人前にならなくてもいいと言われてしまいそうですが、そう思う人がいても良いんです。ただ、人として成熟することをいう一人前を目指さなければ未成熟な人のまま磨かれずいることになります。人として深みを増し自分を輝かせたければ「一人前」を目指すことは必須事項です。ぜひ参考まで。

幸せの在処

幸せがどこにあるか探している方がいらっしゃいます。

でも、幸せというのは余所で見つけるものではないんです。

幸せというのは自分の心に既に持っているものなんです。

何か物で幸せの形を当てはめて埋めようとしても埋まらないんです。

何かで自分を満たそうとしても一瞬満たされた気にはなりますが、まやかしで一瞬で幸福感は消えてしまいます。

大切なのは目に見える形ではなく、自分の心が満ちる感覚を知ることなんです。

幸せは慎ましやかでさり気なく存在します。

それに気づける人が「幸せ」な人なんです。

幸せはトコトコ歩いては来ません。風に乗ってくるものでもありません。

自分が感じるものが「幸せ」です。

私が今日幸せに感じたことは「子供が元気に過ごせたこと」「夕日を見て子供と一緒に綺麗だと感じれたこと」「みんなが今日も無事で終えたこと」「私の体調不良の回復が早いこと」・・・上げるとキリがありませんね。あ!あとクッキー食べたことも沢山笑ったことも幸せでした。やはり、キリがありません。辛いことも苦しいこともあるけれど、何とか乗り切れていることに感謝の気持ちが湧いてきて「私って幸せだな・・・」と思います。そう思えない日もあるかもしれませんが、一日の終わりは幸せの数を数えてみて下さいね。

『欲深さ』の醜態

人間である以上、欲というのは必要不可欠なものですよね。

欲があるからこそ頑張れたり一生懸命になれたり。力にも変わります。

しかし「欲が深すぎる」と理性を失ったり、欲に支配された己の醜さが浮き彫りになります。

欲をコントロールするのは大変かもしれません。

欲のコントロールとは理性を維持させるということでもありますからね。難しいことです。

ですが、欲深い人というのは必ず見破られます。何を差し置いても欲を優先する姿は醜さを晒す行為なのですが、本人だけ気づいていないんです。晒していることを。

その恐ろしくも醜い姿になりたくないという気持ちがあるなら『理性を保つこと』と『欲を貪らないこと』を意識できると維持できると思います。欲に駆られ憑りつかれた姿は醜さの極みです。

欲に支配されそうになった時は我慢ではなく、忍耐です。9/16のブログに我慢と忍耐の違いを綴りましたので参考にしてもらえると幸いです。欲が暴走しそうになったら、忍耐力が試されていると思って立ち止まれると人としてレベルアップです。私も肝に銘じております。

忍耐≠我慢

私は『我慢』という言葉が苦手です。

この言葉は受動的で目的のない抑制を意味するようです。

仏教では煩悩を指し自我に執着し、おごり高ぶる心から離れられない慢心を言うそうです。漢字の意味をみても納得ですよね。つまり我慢は『美徳』でもなんでもないんです。「変えられない自分」を「可哀そうな自分」に置き換える常套手段のように思います。

逆に『忍耐』は能動的で良い未来や進展のために努力を続けることを言います。

苦しいことや辛いこともあるかもしれません。それでも自分の目的や乗り越えるものと位置付けて前向きに耐え忍ぶというのは、誰にでも必要な生きていく力かと思います。

そして我慢は感情を抑え込むだけなので『ストレスフル』、忍耐はポジティブな思考で感情をコントロールするので『ストレスレス』とも言われています。

良い時も悪い時も人生を豊かに彩るには『我慢』ではなく『忍耐』を身に着けた方が遥かに生きやすく前向きだと感じます。自分はどちらだろう?と考えてみるだけでも、少し違った視点を得られるのではと思います。ご参考まで。

頑張りすぎている『あなたへ』

『私だけ辛いと言えない』

『みんな頑張っているから』

この考え方は人を想い、自分を鼓舞できる心の優しい素晴らしい人です。

でも、誰しも頑張れる限界が必ずあります。

辛い時は辛いでいい、苦しい時は苦しいでいい。

泣きたかったら泣いたらいいんです。

頑張りすぎて人に弱みを見せるのが怖くなっていませんか?

弱い自分に目を背けていませんか?

自分の良い所と悪い所は表裏一体です。

完璧な人などいないのです。

だから大丈夫。弱さも脆さも愛しき人間らしさなのです。

幸せも不幸も誰かと比べる必要はなく、自分がどう感じるかです。

フォーカスするべきは自分の踏みしめる一歩なのですから。

みなさんがみなさんらしい笑顔でいられる時間を大切に。

『信念がある』ということ

信念があることと頑固や意固地になることは似ているようで全然違うものです。

では、どう違うか。

自分を曲げないという意味では似ているのですが、方向性が全然違います。

信念というのは、自分の叶えたいことに対して嫌なことも頑張れることを言います。それがなく『やりたいようにやる』『自分を変えたくない』という理由だけだと頑固・意固地だということになります。

信念は自分の貫きたい思いに対して自分が誠実で嫌なことも苦手なことも乗り越えていくことだと思います。人から理解されなくても、自分に信念があるなら大丈夫。必ず前に進みます。

私自身も「自分は頑固になっていないかな?」と問うことがあります。信念があることと頑固な気持ちが自分の中で混同していないかを確認したりします。人間ですから間違うこともありますし、失敗もあるので、そこを履き違えないようにしています。

『体裁』は自分を幸せにしてくれますか?

『体裁』というのは、見かけ・見栄えを言います。同じような意味では『世間体』とも言いますよね。この体裁や世間体という内面を伴わない格好が自分を幸せにしてくれるか?と思うことがあり、ブログに綴りたいと思います。

家から一歩外に出ると社会の一員として常識的な振る舞いは大切になります。共存する人間同士、人に気遣う気持ちは生きていく上でとても重要に思います。しかし、体裁を気にするというのは気遣いではなく「自分がどう見られているか」という上辺の話になります。

表層的な部分で自分がよく見られたいエゴの為に我慢していることはありませんか?こういったことは特に家族関係、夫婦関係に多いように思います。他人に迷惑をかけない前提があれば、人からどう思われるかよりも、自分が自信を持って幸せだと思える状況を作り出す必要があります。

実体のない幸せを表面的に取り繕うことは、今は良くても後々に後悔という形で自分の心や身体を蝕みます。生きていれば我慢することも踏ん張ることも多分にあります。しかし、その我慢や踏ん張りは『体裁』つまり体の良い我欲ではないですか?表向きどうかよりも心から幸せを感じられる選択を自分の中で出来るようになると、幸せから自分の方へ寄ってきます。ぜひ、参考まで。

行き詰った時に必要なもの

一生懸命生きていると必ず行き詰る状況と遭遇します。

そんな時、打開する方法をお伝えできたらと思います。これは、恋愛でも人間関係、家族関係、お仕事でも同じですので、ご参考まで。

行き詰った時に必要なものは『素直な気持ち』になります。そもそも行き詰るということは、迷路でいう行き止まりになります。でも、自分はこの道が良いからといって壁に体当たりして突破しようとしますか?どこまで高いか分からないような壁をよじ登りますか?多分、迷路だと「違う道を探そう」と柔軟な気持ちでその場を離れるように思うし、万が一はしごがあったり壁を乗り越える手段があれば、それを素直に利用しますよね。

その柔軟で素直な気持ちが大切だということなんです。体当たりしてズタズタのボロボロの状態になっても諦めない頑固さで自分を壊してしまう状態というのは人間関係に置き換えても得策ではありませんよね。一生懸命頑張っても仕事が進まない時、プライドでやせ我慢する・・・ことも悪くはないですが、続くと心も体も弱ります。頑張っても難しいことを打ち明ける勇気や素直さがあると、状況は少し変わってきます。

全てにおいて上手くいくということではないですが、こういう考え方もあると思ってもらえると良いかと思います。努力している人、頑張っている人ほど行き詰りやすいです。一人で悩んで抱えて苦しくなって・・・能力がないとか出来ないと思われたくないですしね。その頑固さで自分の心と体を壊すくらいなら素直になった方がよくて、いくらでも挽回するチャンスはありますから自分を大事にする意味も込めて『素直な気持ち』を大切にしてくださいね。

占いは羅針盤🧭

占いは『人生の羅針盤』と、お伝えしています。

自分の進む道を指し示してくれたり、願いに向かって最短経路を教えてくれたり、自分が間違った方に向かっていることを伝えてくれたり・・・私自身、何度も何度も助けられていると思っています。

ただ、舵切り(行動)するのは自分です。どのようなアドバイスや結果でも『聞く心』がなければ何の意味も成しません。自分にとって不都合な結果であっても、そこに必ず気づくことや学びがあるんです。それを必ず教えてくれますからね。

スピリチュアルも占星術もタロットもどんな占いに関しても『魔法』は存在しません。もちろん、願いを叶える方法はいくつもあります。でも、それは『魔法』ではなく『羅針盤』を使って確実に自分が行動することで結果を得られたということなんです。

例えば私の経験で言うと、家を建てるための土地がほしいと思っていました。その前に九星気学で吉方吉日をみて海外旅行に行き願望祈願してきました。それから、時間のある時にハウスメーカーに行ったら「お客さんが望むような土地は3年くらい探しても見つからないよ」と言われてしまいました。「希望の土地を見つけるって、そんなに大変なんだ・・・」と思いつつ、翌日は吉方にある地元の工務店に「もし良い土地があったら声をかけてほしい」と伝えに行ったところ欲しかった土地の形、場所を売り始めたところだったんです。すぐに押さえてもらって購入して家を建てることができました。

これからも分かるように占いという『羅針盤』に助けてもらいながら自らが行動してくことで願いや思いを叶えることができるという訳です。今回の例は九星気学でしたが、他の占術も例にもれず羅針盤の役割を果たします。ただただ願って目の前にポン!と現れるわけではないんです。羅針盤の指し示す方向に、誠実に着実に進むことで得られる結果ということです。ご参考まで。

怒りを散らす方法

誰にでも怒りという感情は存在します。

もちろん、私にも。でも、私は怒っている自分が好きじゃないんです。顔も怖いし、言葉も攻撃的になるし、感情的な怒りから何も生まれないので生産性もよくないと思っています。それでも怒りが湧いた時、私は「散らす」ようにしています。

例えば態度の悪い店員さんがいたとします。対応も悪く雑に扱われた時、私の頭では「今日は体調が悪いのかもしれない」とか「もしかして恋人とケンカしたのかもしれない」なんて辛いことがあった後なのでは?と思うようにしています。そう思うと、逆に親切な気持ちになって労わる気持ちまで湧いてきます。

全ては視点を変えることです。人によっては「店員はプロだろ。それでお金貰っているんだから、態度が悪いことは許せない」と思う方もいるでしょう。考え方は間違っていないと思いますが、怒りに支配されて自分をなかなか切り替えられず過ごすことは健康的なことでしょうか。そう考えると怒る時間が不必要に長いことは精神衛生上もよくないように感じるので見る角度を変えて健康的な視点を得る方が幸せなのではと思います。

怒ることは決して悪いことではありません。人間にとって当然の感情ですので、自然なことです。ただ、常に怒りを纏うことは医学的にも健康に影響すると言われていますから、ずっと持ち続けない方が良いし、切り替えられるなら早めに切り替えられた方が良いと思っています。それに誰であっても同じ人間で、一生懸命頑張っていますからね。私の信念としましては誰に対しても敬意を持ち、嫌な対応をされた時こそ優しく普段より丁寧に応えることを意識しています。「愛で心を溶かす戦法」です。