いつからだろう
他のひとの目が気になったのは。
わたしたちは小さいころから
無意識に「普通のひと」をめざして生きているかたが多いと思います。
みんなと違った服装や、態度を嫌い
中くらいや、普通をめざす行動をとるようになっていくのです。
普通を目ざすわけはどこにあるのでしょうか。
そうでないと目的を見つけられないからです。
もっというと他に、豊かに生きる方法を学んでこなかったのです。
普通をめざすことに疑問を感じたら読んでみてください。
人並の幸せを願い就職する、結婚する
普通は、
「学校を卒業したら仕事をする」
「結婚適齢期になったら相手を見つけて結婚する」
大抵の大人は「普通が幸せ」とすすめてくれるものです。
そもそも普通とは何なのでしょう。
「どちらでもよい」
普通といわれる、中間的なところにいることで
安心をおぼえるのです。
「わたしは上でも下でもない中間に属している」ので
「大勢がいてかばってもらえる」という意識が働きます。
他人に自分の扱いをゆだねているように感じます。
なんだろう、
みんな「普通」というのがあると思いすぎているかもしれません。
それで、自分だけそうじゃないと思って嘆いている
その嘆いているかたのほうが、案外
普通なのかもしれません。
普通の生活をした結果
学校にいきましょう。
次は会社にいきましょう。
辛いのは仕事だから仕方ない。
会社員や家業が自分に合わなくても修行のように
毎日をこなします。
そうしないと、がまんしないと普通のひとになれませんから
どうにも毎日が辛い日々です。
普通にすることは難しいのです。
日本人は普通からはずれるひとを嫌がります。
ガマンし続けて病気になるならそこで気が付くのでまだましです。
いっぽうで半端に身体か丈夫ですと永遠にガマンするでしょう。
普通でないことをする=わがまま
という思い込みがあるように感じます。
途中であきらめたり、辞めたりすると「わがまま」になります。
でしたら言われない為に頑張り続けなければなりません。
年齢は単なる数字
ご相談者のなかには
「恥ずかしながらわたしはもう48歳なんです、恋愛や結婚なんてお恥ずかしい」
と話されるかたもおります。
何歳になろうと、この世に生まれたのは魂を成長させるためと考えると
人生の学校に来ていると思えば
わたしたちはまだ、幼稚園にすら上がってもいないかもしれません。
年齢という数字に惑わされて行動のさまたげにならないように
したいものです。
普通になれないことはわがままなことではない!ですから。
ガマンするクセがあるかた、ご相談にいらしてくださいね。
まんまマリア