【ブログ】

与える人こそ与えられる

自分自身がギバー(与える側)なのかテイカー(与えられる側)かという議論を耳にします。その二種類のバランスを取るのがマッチャーと言います。こういった人種を分類するようなものって、人気がありますよね。分かりやすいので、誰でも理解しやすいし、人というのはカテゴリーを分けると安心する性質を持っていますから流行るのも分かります。

しかし、実際はこんな簡単な分け方が出来るわけがありませんよね。でも、人の性質としてハッキリ分かりやすくカテゴライズされると理解が早いし精神的に楽になるので分けたがりますが・・・

ほとんどの人は大きなグラデーションを持ってギバーであり、テイカーであり、マッチャーという性質を持ち合わせています。そのうちパーセンテージが多いのはどれかということであって。

そして得る側になりたい人こそ理解してほしいのが「与えるからこそ与えられる」ということです。与えられているように見えて羨ましく感じる人ほど、しっかり人に尽くしたり存在自身が与える側にいます。この世の中、ただただ得るということはあり得ないということです。まさに「自分のしたことが返ってくる」つまり因果応報ということです。

ですから言葉やカテゴリーに惑わされて自分や人を決めつけるのではなく、親切にしたら親切が返ってくるし優しくしたら優しさが返ってくるとシンプルに考えてみてくださいね。

年齢で判断は✖【恋愛編】

よく「年上の落ち着いた人が良い」とか「年上の引っ張っていってくれる人がタイプ」と仰る方々がいます。確かに年齢を重ねている方が人生経験が豊富ですし、社会的にも頼れる感じがありますよね。しかし、恋愛においては年齢は「あまり関係ない」と色々な方々を見てきて思います。

年上が好き!という好みは良いのですが、そこに「しっかりした」とか「頼れる」というプラス要素が含まれることが多いと感じます。正直、恋愛というもの自体、正常な判断で割り切れるものではないし、どんな年齢の人でも浮かれるし地に足がつかないものです。さらに、精神年齢と年齢は比例しませんので、年齢で判断するのは自ら恋愛の幅を狭めているように思います。

若いうちはほとんどが年上だったけれど、自分自身も年齢を重ねると次第に年下も増えていきます。でも「年上のリードしてくれる人が好き」と強くインプットした価値観が年を重ねても、そのまま持ち越すと恋愛対象が減少してきてしまいます。ですから、年齢問わず頼れる人はいますし、しっかりした方もいらっしゃいます。ぜひ、自分の思考のアップデートをしながら素敵な出会いを見つけていってくださいね。

壊れたものは元に戻らない

人は目で見えるものに対しては「壊れたものは戻らない」と分かっているのに、それが心や目に見えない気持ちとなると「戻る」と錯覚するのでしょうか。意地でも元の形に戻したがるのでしょうか。残念ですが、心だって元通りにはなりません。

よっぽど元の形が理想的で居心地がよくて幸せを感じれたのかなとは思います。でも、自分で壊したり歪めておいて、そんな虫のいい話はありません。ですから、壊してしまったなら壊したところから自分で作れる新しい形を構築する必要があります。

友人関係においても恋人関係においても相手を傷つけたり裏切ってしまったとしても、まだ友人でありたい恋人でありたければ壊したことを詫びる必要があります。そこから失った信用を取り戻すべく『元の形に戻す』のではなく、現状からいつか笑い合える状況に至るまで関係を作りあげていくしかありません。相手から「いらない」と思われなければ新しい形を構築することはできますから。

覆水盆に返らず、破鏡再び照らさず・・・なんて言葉もございます。元に戻そうとすると戻らないので苦しくなります。それよりも今できることを努力して積み重ねていく方に意識を向けてみることをオススメ致します。

お話を聞かせて下さいね

占い師になって人の話を聞く機会が増えたからなのか、みなさんギリギリまで我慢されている方が多いように思います。最後の砦で占いに来る方もいらっしゃいます。でも、ズタズタのボロボロになる前に少しでも良いので、お話をしに来てくださると嬉しいです。

初めてのお客様にも心配や不安のないように、お声がけさせていただきますので怖がらないでくださいね。鑑定ですので、良い結果ばかりではありませんが、良い方向に向かうよう様々な占術を使ってお話していきます。

ハートフルの先生方、私も含め来てくださったお客様は忘れません。いつも頭の片隅に「お元気かな?」「問題は乗り越えられたかな?」と思いを馳せています。お客様は私にとって「大切な人」の一人です。常に、お力になりたいという思いでおります。自分の気持ちを吐き出す場所がない、苦しい状況を吐露できないなど悩まれている方は、ぜひお話を聞かせて下さいね。いつもでも、お待ちしております。

無駄なことなんて、ないんだよ

恋愛においても友人関係においても家族関係においても一緒にいた時間や共に育んできた時間が長ければ長いほど崩壊した時に「せっかく頑張ってきたのに・・・」「こんなに長く一緒にいたのに・・・」と今までかけてきた時間を【もったいない】と感じる方が多いように思います。

努力してきた関係に対して、どんな結末だと納得がいったのでしょうか?どこをゴールとして満足感を得ようとしてきたのでしょうか?

5/14に書きましたブログ「『努力』は報われる??」でも書きましたが、誰であっても頑張ったからといって自分の望む結果が得られる訳ではないし、努力が実るとも限りません。

もったいないと感じることが悪いのではなく、相手を自分の思い描く形になってほしいと期待しすぎたところに問題があるように思います。人を変えることほど難しいことはありません。自分が視点を変えたり、色んな経験を肥やしに成長することで期待しすぎることもなく、現実を受け止める力が備わると思います。

簡単に言葉にしましたが、実際に思考を変えることは難しいです。ですから、一歩一歩焦らず自分を磨いていくことで人生に無駄なことなんてないと実感していくことが大切なように思います。私も人生で沢山転んたり、上手くいかないことも多かったのですが今こうしていられるのは『人生経験、全て糧』という精神でいたからだと思います。まだまだ、これからもっともっと精進して皆様のお役に立てるよう努力して参ります。がんばるぞー🔥

『行動』が真実

人間関係において「行動」が全てです。

行動の伴わない言葉は「嘘」と何ら変わりがありません。

恋愛でも不倫関係で「相手と別れる」「お前が一番大事」と言っても結局、一番大事じゃないから行動を起こしてもらえません。美辞麗句を並べても、それは真実・現実ではないということです。ただ、その道ならぬ関係に対して続けていく覚悟があり、どんな結末も受入れるという決意があるなら自責で良いと思います。

これは友人関係、家族関係、どの人間関係においても言えることです。どんなに心情を言葉でつらつらと並べたところで本当に相手の為に行動できない人は、そういう人だということです。

友人であれ恋人であれ、その人を見極めるポイントは「確かな行動」をするというところです。それも相手を思った行動です。人間関係に悩んだ時、相手へ不安になった時など「行動が真実」だと思い出してもらえると幸いです。

強運・・・どういうこと?

占いに行くと「今年とても運が良いよ!」と言われたことはありませんか?どの占術においても運気の良い時、悪い時というのが分かります。運が良いと行動がスムーズに起こせたり、良いことに転じるチャンスになったりします。ただし、良いことばかりではないということを知らない方も多いので強運とはどういうことか参考にして頂けたら幸いです。

実は「運が良い」とか「強運」というのはスポットライトを浴びている状態なんです。眩い光に照らされると同時に足元に滲む影が濃さを増します。つまりプラスが強く出れば出るほどマイナスも一緒に露わになるのです。

つまり良し悪しは表裏一体ということです。例え運が良かったとしても、良いことしかない訳ではないのです。2024.12.4に書きましたブログ『【手相】最強≠幸運 ますかけ線』でも書きましたが強い運というのはあっても使いこなせなければ振り回されて終わることもあります。自分の運をコントロールするだけの豊富な知識、正しい言動、清い精神を向上させていく必要があります。

誰かと比べるのではなく過去の自分を上回っていく気持ちが大切です。

泣きたい時は泣いて下さいね

2025.1.24に『涙は浄化』というブログを書きました。そこでも涙を流すことの重要性を書きましたが、今回は前回にプラスして我慢しないでね!というメッセージをお伝えしたいと思い、書き綴らせて頂きます。

鑑定のみならずプライベートの会話中に涙を我慢される方がいらっしゃいます。色んな思いや経験から湧き上がってくる気持ちが涙に表れていると思いますが、私の前では我慢は不要です。鑑定中もプライベートも。こんなことで・・・なんて思う必要もないんです。

私は人に恵まれているのか、お客様もプライベートで出会う方々も頑張り屋さんで我慢強い方が多いように思います。更に真面目で努力家で一生懸命で・・・私自身、元気を沢山頂くのですが、少し心配になってしまうことも。そんな皆様だからこそ、お力になりたいです。涙を流すことは決して悪いことではありません。浄化の一つです。苦しくなったり、お辛くなったら頼られるような存在になれるよう私自身、精進致します🔥

涙は蓮の花のようだな・・・と思うことがあります。蓮は泥の中を潜り抜け水面に表れる時に美しい花を咲かせます。涙もドロドロとした感情を潜り抜け、瞳から零れ落ちる時は美しい雫となります。目に見えない部分はドロドロしていても表面化する時には美しい形で現れるところが似ているように思います。話は逸れましたが、涙は我慢しないでね!という気持ちが伝わりますように!

役立つ『武道の精神』

私は9歳から武道を嗜んできて一番よかったなぁと思うことは『武道の精神』が身についたことです。これは生きていく上でも、とても役に立つ考え方ですのでシェアしたいと思い、ここに綴らせて頂きます。

武道には『礼に始まり礼に終わる』という精神があります。これは対戦相手に対して敬意があることを示しています。どのような相手でも、どのような結果でも感情をコントロールして礼儀を果たします。

ただの人間関係であっても勝負の世界でも大切な精神だと思っています。私自身「相手がいなければ勝つことも負けることもできない。色んな経験、感情を身を持って知ることが出来るのは相手がいるからだ」ということを常に感じておりました。勝つ喜びも負ける悔しさも相手がいて初めて実感することができますよね。そう考えると感謝が生まれるように思います。

好きとか嫌いとか関係なく、自分がどういう人間でありたいかが大切なように思います。危害を加えてくるなど特別な状況以外、誰が相手でも挨拶をするし敬う気持ちを忘れたくありません。「ありがとう」も「ごめんなさい」も相手を敬うからこそ自然と出るものかと思います。

勝負とは一見、相手との戦いのように見えますが実際は日頃の自分との戦いだと思っております。日々の自己研鑽により、精神を逞しくさせ、技術を磨いていくことの延長線上に勝敗が待っているように思います。心を整えるのは何かや誰かではなく、己のみです。自分の在り方、思考、言動を整えることで自然と精神が整います。新しい時代に乗りつつ、古き良き精神も織り交ぜていくことで柔軟に適応できるのではと思っています。拙い言葉でしたが、もう少し上手な文章が書けるようになりましたら、もっと分かりやすくお伝えできればと思います。私もバーションアップが常々必要です。頑張ります!

恋と愛

人生で避けては通れない『恋愛』というジャンル。恋愛と一括りに言っても『恋』なのか『愛』なのかで全然意味が変わります。自分は、どんな恋愛をしていますか?

ちなみに超超超簡潔に言うと『恋』は自分都合で『愛』は相手都合で動きます。相手が好きで相手の求めていること全てに応えてしまう人は一見『愛』のように見えますが、心の奥底に嫌われたくない愛されたいという自分都合が隠れているので『恋』なのです。自分の気持ちの真髄がどうであるかが重要になります。

そして恋愛関係を維持するために必要なのが双方の『愛』になります。例え『恋』から始まっても、互いが互いの為を思う『愛』へ変化を遂げないと続かなくなります。いわば推し活や片思いも『恋』なので、恋はある意味一人で成り立つところがあります。でも恋愛は二人でするものですから片一方の思いだけでは成立し難くなるわけです。

私は常々『愛』から恋愛が始まるように思います。なぜなら、例え自分が結ばれなくても相手が幸せなら、それで幸せだからです。これは人間関係でも言えるかもしれません。お客様に対してもハートフルの先生方に対しても家族友人、たまたま出会った方であっても私と関わって下さった皆様が幸せなら、それで幸せなのです。このブログを書きながら私自身『愛』をもって皆様のお役に立てるよう邁進して参りたいと改めて強く実感致しました。