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🎁🦌🎄Merry Christmas🎄🎅🔔

みなさん、メリークリスマス☆

私も昨晩、暗闇でサンタ業をコソコソこなしました!世のパパママ、孫を持つジジババ、サンタ業お疲れ様です。水面下で計画通り完璧に任務を遂行する姿に「忍者みたい」と言われたのは私です。

私は結婚する前や恋人がいない時もクリスマスが大好きでした。

なぜなら人の目を気にせず好きなだけケーキを食べることができるからです。以前のお仕事上、ケーキを頂く機会が多くあってクリスマス当日は家にホールで4つくらいあったものです。前日や12月というだけでも多い時は1カ月で10ホールくらい食べたことも!

それにキラキラしたツリーやイルミネーションで街も華やかだし、おいしい食べ物であふれているし、何て幸せな期間だろうと思います。

あと、クリスマスの思い出としては20年くらい前に友達が住んでいるドイツに行ってクリスマスマーケットに行ったり、シュトーレンの本場なので美味しいシュトーレンを食べまくったり、極寒にホットワインが美味しすぎる・・・という良い経験をしました。

文章を読み返して私って食べるの好きすぎるな・・・と思いました。恥ずかしい💦

どんな日だとしても楽しむ気持ちは常に持ちたいと思っていますが、クリスマスは自分が頑張って意識しなくても楽しい期間なので、ぜひ美しいものや美味しい物に癒されてくださいね。

『覚悟』がある生き方

小さなことから大きなことまで色んな選択をして生きている私たち。

しかし、ここぞという時の選択には覚悟が必要です。そして、その『覚悟』が自分の軸となります。覚悟もなく何となく勢いで選択すると、困難が起こった時にガタガタ崩れていきますので、人生の大きな決断の時には覚悟を決めましょう。

もちろん人生はやり直しがききます。間違ったり失敗しても大丈夫。自分が精一杯頑張っても上手くいかないこともあるし、努力ではどうにもならないことが起こります。そこで大事なのは、誰かのせいにしたり何かのせいにしたりしないことです。では、なぜ何かのせいにしてはいけないのか。それは自分を守る常套句になるからです。

自分に決して落ち度がなくても他責はしない方が良いです。例えば車で法定速度通り道路に沿ってきちんと走っていたって、他の車にぶつかられたり巻き込まれるようなことってありますよね。そういった出来事には自分が気づかなくてはいけないメッセージが隠されていたりするので感情的に怒ったり悲しむだけだともったいなく思います。

私の近年でいう『覚悟』は占い師として全うするということです。

もちろん課題や問題(子育てや家庭との両立など)は沢山あります。でも『覚悟』があるからこそ、課題すらも自分という人間を磨くために必要な工程であり、乗り越えるべきことでもあると思っています。『覚悟』を持つと人は強くなるんですよ。ぜひ、ご参考まで。

1人じゃないよ

大きな壁にぶち当たったり、思考が迷走して孤独感を感じたりすることってありますよね。これは誰にでもあることで特別なことではないんです。誰に話していいのかも、何をどう説明したら良いのかも難しい時だってあると思います。そんな時こそ、お話を聞かせてほしいなぁと思います。

頑張ってるからこそ苦しくなるし、一生懸命だからこそ辛くなります。

自分なりに良い方へ精一杯進もうとした結果、疲れ切ってしまうこともありますしね。息苦しく感じる時、少しでも自分の心を発散させる必要があります。占いもその一つの方法だと思ってもらえると良いかと思います。

過去や未来を見るだけでなく、自分を整える手段としても占いは有効です。自分の今の星の状態、運勢の流れを知りながら乗り越える方法を探ることも良いですし、タロットから力強いアドバイスをもらったり、少しでも運気を上げるために風水を活用してみたり・・・出来ることはたくさんありますし、しなくていいことも分かります。

私は1人かも・・・孤独を感じる・・・と思った時は、私を思い出してくださいね。1人なんてことはないし、私はいつでも想っていますからね。

回復方法は人それぞれ

失恋、友達とケンカして修復不能など大きくダメージを受ける事ってありますよね。その回復方法ですが、それは『人それぞれ』です。例えば失恋なら次の恋とか遊んで忘れるとか世間的に言われていることが色々ありますが、自分に合ってなかったら余計心が拗れて二次被害を生むこともあります。

では、どうしたら回復方法が分かるのか?

それは自分の性質を知るという事です。自分で自分を分かっているという人以外は占いで自分の性質、能力を聞き自分を理解するところから始めてみるのも良いかと思います。星や運勢を見て効果的な方法を知ることが出来ます。

自分の顔を直に見れないように、一番近いものこそ見えにくく理解が難しかったりします。見えにくいところこそ熟知していると、いざという時に迷うことも手探りで進むこともありませんからね。それは自分の性質も然り。

世の中でよく言われていることが自分と当てはまると思ったら大間違いで、人それぞれ解決方法・回復方法は違います。素直に色んなことを試してるのにうまくいかない・・・と謎のループにハマる前に自分を知ってみることをオススメします。ご参考まで。

心を支配されない

自分の心は誰のものですか?家族?恋人?友人?

どれも違いますよね。紛れもなく自分の心は自分のものです。

誰かを心配したり大切に思うことは素敵なことですが、その心に縛られてしまうと純粋だった心に墨汁をぽつんと垂らしたような徐々に黒い気持ちが渦巻き始めます。

最初は、ただただ心配だったことが連絡を取れないだけで「何してるの?」と怒りが湧いたり「もしかして事故!?」と過剰な妄想をしてしまったり「何か隠しているんじゃ・・・」と勝手に疑心暗鬼になったり。

こうなってくると自分の心が自分のものではない状態に。誰かに何かに振り回されて正気を保てなくなっていますからね。もちろん、相手との信頼関係や関係性にもよりますが、どの場面においても大切なのは自分の心を誰かや何かで安定させないことです。

もう一つ、「嫌いな人」で自分の心をいっぱいにするという支配のされ方は気を付けましょう。自分の心に嫌いな人を住まわせてはいけません。憎悪という靄で心を支配してしまっては本来の自分の心が見えなくなってしまいます。でも、嫌な人っています。私もそういう人に遭遇することがあります。でも、そんや嫌な人に自分の心や思考を奪われたくない(その時間がもったいない)と思ってしまいます。そう思った時は心許せる人に話したりして発散して終わりにしましょう。自分の心は自分で守っていく必要があります。

浄玻璃鏡

みなさん、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)をご存じですか?私が子供に話す時は「閻魔様の鏡」と言ったりもします。この鏡は死んだ後、閻魔様が死者の生前の善悪の所業を見極めて裁くときに使われるものです。

自分が肉体を持って生きていた時どういった生き方をしたのか、その全てを映し出すものなんですよ。その生き様以外にも人にどんな影響を与えたのかも映し出されます。無意識に傷つけたり、知らぬ間に悲しませていることも。

だからこそ人は最低限、謙虚に誠実に正直にいなくてはいけません。この心さえあれば、気づかぬうちに誰かを傷つけていても気づいたら素直に謝れますからね。この心がなければ「は?知らないし」「私は悪くない」という傲慢な考え方になってしまいますから。

この鏡は人を裁くものという風に書きましたが、実際は自分の罪を反省させるためのものなんです。つまり、自分が犯した罪に対して「悪かった」と思える心が大切ということです。自分は間違っていない、正しいと思うのは人の常ですが、自分を正当化せず色んな意見や価値観に触れて人として磨きをかけていける方が素敵な気がします。

ちなみに我が子に、この話をしたら「まにさん(私)、もし先に閻魔様のところに行ったら『うちの子、いい子なんですよ~』って一言いっておいてね」と念を押されました。「あなたなら大丈夫だよ」と言ったら「万が一ってこともあるからね!」って・・・爆笑してしまいました。

苦しい時に大切なこと

人生が好調だけの人はいません。

必ずアップダウンがあります。ただ、好転しやすい人はいます。困難や問題に対して理性的に的確に素早く判断できること、自分が可哀想という殻に閉じこもらない人は運も動きやすいです。

とはいえ、誰しも低運気であったり上手くいかない星が付いて回ることがあります。こんなに頑張っているのに・・・と、もがけばもがくほど苦しくなるようなことは自分が良いか悪いか関係なく起こります。大切なのは冷静な思考と誠実な行動です。

正直、低運気で八方塞がりな状態で開運・運気アップは難しいです。運も肉体のように免疫が落ちることがあるからです。運が風邪を引いて弱り切った状態で開運だからとフルマラソンを走り切ることが出来ないように、出来ないものは出来ません。そして、そういうDOWNの時期には、その時期にやらなくてはいけないことがあるんです。

現実的な問題の場合は感情を切り捨てた理性的な判断が必要になります。そして、可哀想な自分に言い訳をして不誠実な行動を取らないことです。現実から目をそらして良くなることはないからです。我慢が必要な時は冬眠する動物のように耐える必要がありますが、それは現実逃避とは違います。これが簡単に出来たら苦労はないのですが、ぜひ困難にぶつかった時は冷静さと誠実さをもって対峙してみて下さいね。

思い出はエネルギー、執着は足枷

自分が辿ってきた道がどんなに険しく歪だったとしても、これから進む先もそうだとは限りません。過去に対して悔やむ気持ちや忘れられない思いもあるでしょう。それが思い出と思えた時、過去の出来事は全て自分の栄養となり、これから先に進むためのエネルギーとなります。

辛い苦しい気持ちを大事に抱えて、背負って進む未来の足取りは重いですよ。

人は宿命というリュックを既に背負っています。それにプラスして、過去の執着も両手いっぱいに抱えて歩いたらどうでしょう。重たくて嫌になって全て投げ出したくなりませんか?では、どうしたら良いのか。

過去に浸らないことです。過去の積み重ねが未来ではありますが、過去はあくまで過去であって、その都度清算していかなくてはいけません。人生であったこと全て抱えて進んではいけませんからね。心も体も身軽に参りましょう。それが自分を労わることでもありますから。ご自身を大切に。

『価値観』は合いません

恋愛の場面において、よく言われるのが「価値観の違い」や「価値観が合わない」というセリフ。そもそも価値観が合う人っているんですかね?そして、なぜ合っていると思い込んでしまっているのでしょうね?『価値観』という目に見えないものを合う合わないと言っている時点で「?」な気持ちと疑念を抱いています。

まずもって『価値観』は擦り合わせていくものです。

パズルのように型があって当てはめるように思っている方がいますが全然違うように思います。その時によって形を変えたり、柔軟にバランスを取るのが『価値観』な訳で。郷に入っては郷に従えと言うように自分の価値観なんて場所や状況や環境で如何様にも変化しますからね。

ですから契りを結ぶ理由に「価値観が合ったから」ではなく「好きになった人と価値観を擦り合わせても一緒にいたいから」が本当のところだと思います。

そして別れる時「価値観の相違」ではなく「価値観を合わせたくなくなった」が真実なんです。つまり、もう好きじゃない人に労力を尽くしたくないし努力できませんってことですね。

ですから、結婚やお付き合いに対して末永く続けていきたければ双方が「お互いに価値観を共有して擦り合わせていけるか」ということが大切になっていきます。

そもそも、家族や親族という血のつながった人たちだって価値観が全然違うのに、全く違う環境で育った赤の他人がピタっと合う訳なんかないですからね。合うかどうかではなく、お互いに合わせていける気持ちがあるかどうかです。

自分の価値は変わらない

自分の価値は他人が決めると思い込んでいる人が多いように思います。

もちろん仕事でも勉強でも基準があって評価の対象にはなります。しかし、それに満たなかったら価値がないと思うのは間違いです。

世の中は、それぞれのフィールドで優劣の評価をつけます。それはジャンルによって判断基準があって、レベルを分けたり、その人の能力を測る必要があるからです。それによって本人たちの競争意識や士気を高める要因にもなります。

ですが、そのフィールドで活かす能力に差異があっても人としての自分の価値は何も変わらないんです。価値は人の評価ではなく、自分という存在に既に持ち合わせているものです。人に何か言われて揺らぐような薄っぺらいものではありません。

私が今回言いたかったのは人の言葉に振り回されて自分の価値を見失わないで欲しいということです。自分の価値とは生まれた時から既に持っているものです。自分の人生を一生懸命頑張っていたら、更に輝きます。自分を大切にしていきましょうね。