こんにちは。
いつもブログにお越しいただいて、ありがとうございます。
今日は甘えについてかきますね。
前回のブログでは、普通を選んでしまう日本人について書きました。その正体は「甘え」ているからなのかもしれませんね。今日はその続きを書きます。
普通を選ぶわたしたち
海外に行く機会があると、日本について考えることってありますよね。
「日本はきゅうくつだなぁ」と感じることがありました。みんなが感じることではないかもしれませんが。普段はあまり気にしない、組織や男女の差、家族の考えかた、さまざま味わいます。
決定的なのは、日本人は<YES,NO>を言えないと聞きます。それは、わかっています。わかっているけど、そうなってしまうのです。無意識なんですよね。
あるタコライスを注文したときのはなし。外国人の店員さんに
「辛いソース、甘いソース。どちらにしますか?」と聞かれて
「じゃあ、普通で」
とこたえてしまった、、、。
まさに、日本人ですよ。店員さんは甘いソースをかけてくれました。本当は甘い中にほんのり辛さが欲しかったのです。ここははっきり、こたえるべきでした。(反省)
わたしだけではないのではないでしょうか。そんなに海外生活してない自分でも感じるのですから、長年住んでみたら、また別の考えにたどり着いたりするのかな。
この感覚の正体をしりたいといつも、考えております。
シリーズになりそうな予感。
日本と西洋の違い
さてどういったひとを「甘えている」とすると思いますか。
日本と西洋で考え方の違いがあるようです。
【西洋は】
めだたないように隠れていることが「甘え」
(自由は人間の尊厳であるという考え)
【日本は】
わがままこそが「甘え」
(自由は死なないと味わえない)
「まあまあ」「どちらでもよい」
普通といわれる、中間的なところにいることで
「わたしは上でも下でもない中間に属している」ので、なんとも居心地がいいんですね。
このようなことを別名、普通と呼ぶのではないでしょうか。
安心するところが居心地良いです
普通にあることで安心する。どうでもいいの普通ではないはずなのですが
他人に自分の扱いをゆだねているように感じませんか。
そう、なんだかんだ言っても楽なんですね。決めてもらったほうが。
楽な方がいいじゃないですか。
最近はどっちでもいいというのがとっても楽になりました。
甘えは悪いことじゃないのです。楽な生き方そのものなのではないかな。
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ブログはこちら日本人が普通を選ぶわけ
続きは上野店でお話ししましょう。
みなさまのお越しをお待ちしております。
ーまんまマリアー