浅草

浅草三社祭

今年も浅草の伝統恒例行事である浅草三社祭が開催されます

今年の日程は5月16日(金)~18日(日)の3日間です

去年、一昨年と道端からお神輿を観覧させて頂きましたが、いつ見ても迫力があって浅草を感じます

今日は、浅草三社祭の歴史などについて語っていきますね♬

浅草三社祭の歴史

三社祭がいつ頃から始められたかは不明なのだそうですが、正和元年(1312年)から、三社の神話に基づいて、船祭の行事が始められたと言われています

三社祭の名前の由来

「三社祭」と呼ばれる理由は、三柱の神様が由来です

土師真中知(はじのあたいなかとも)

檜前浜成(ひのくまはまなり)

檜前武成(ひのくまたけなり)

の3人の神様が年に一度だけ 浅草寺の本堂で観音様と一晩を過ごした後に、 お神輿に乗って街の様子をご覧になる...という言い伝えから生まれたとされてきました

同時に、神様が地上を巡ることで御神徳が広がるとされ 浅草の地元民から観光客まで、様々な人達の間で長きに渡って愛されています

最後に

浅草には歴史と魅力が詰まっています

美味しいものも沢山あって、様々な楽しみ方ができる街です

楽しい占いもできます♬

占いハートフル浅草すしや通り店で、占い師一同お待ちしています♬

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所在地   東京都台東区浅草1-9-7

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営業時間  12:00~21:00 

隅田川花火大会

毎日暑いですね、お疲れ様です、占い師のソファみゆきです

夏本番となりましたが如何お過ごしでしょうか

今日は、夏の風物詩である隅田川花火について述べていきますね

隅田川花火大会の歴史

江戸時代の享保17年(1732)に大飢饉が発生し、多くの餓死者が出たうえに、疫病まで流行したことで、国勢に多大な被害と影響を与えました
犠牲となった人々の慰霊と悪疫退散を祈って、享保18年(1733)に両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが由来とされています

しかし、第二次世界大戦の開戦前である昭和13年(1938)から昭和22年(1947)の間、花火大会は中断されました

  また、昭和20年(1945)1月と3月の空襲で隅田川周辺は広範囲に焼け出されました
 戦後、昭和23年(1948)頃になると、料亭も徐々に復活してきて店の数も増え、その年の8月1日に川開きを再開しようと、柳橋料亭組合、花火師、船宿等が動き、連日関係官庁に通い、ようやく戦後第一回目の花火大会が、8月1日(土)に両国橋から蔵前橋の間で無事に打ち上げられました

料亭は、隅田川に面した座敷から川床を張り出し、その前の川に舟を並べて舫い(もやい、舟を固定すること)、多くのお客さまに楽しんでもらっていました

しかし、高度経済成長期に至り、隅田川は工場排水のため汚くなり、また交通量も増加したため、昭和36年(1961)の夏を最後に永らく続いた花火大会は終わりを告げました

その当時の隅田川は、汚染とメタンガスの臭いで大変酷いものでした

また、同じ時期に堤防が築かれて、料亭の庭から見えていた隅田川も見えなくなり、料亭が設けていた張り出し桟橋も無くなり、川岸には高速道路が走り、料亭も次第に少なくなっていきました

その後、昭和51年(1976)10月、隅田川に思い入れのある多くの人々の願いや地道な努力が実り、法が整備されたため、メタンガスの泡も汚臭も無くなり、かなり川がきれいになりつつありました

その証拠に、隅田川清洲橋付近で魚が跳ねているという光景が見られたそうです

再び隅田川に屋形舟を走らせたいという思いや料亭の方々からの願いもあり、昭和52年(1977)に屋形舟が復活

料亭や昔からのお客さんからはそれは大層喜ばれ、今度は墨堤(隅田川の堤)の花見、早慶レッガタ、花火を復活させようと、いろいろな所で人々が動き、それぞれの復活に繫がっていきました
 

 
昭和53年(1978)には、隅田川花火大会が復活

その後、コロナの時期は中止されましたが、現在に至るまで隅田川花火大会は長い歴史を誇っています

隅田川花火大会には、こんなにも多くの人々の熱い想いが込められていたのですね(涙)

今年の日程

令和6年(2024)7月27日(土) 午後7時~午後8時30分 です

賑わっている浅草の街並みが、目に浮かびます

どうぞ、大切な人や仲間、友人、家族、好きな人等とお楽しみ下さいね

花火大会の前には、是非占いもお楽しみ下さい☆☆☆

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