歳を重ねるのがとても早いですね。明日死ぬかもしれないと考えたりすることもあります。死んで残るものはお金や家ではなく、やらなかったことに対する後悔が残るという話を書きたいと思います。
それは残せますか?
今までで、やらなかったことはなんでしたか。チャレンジしたことで失敗してもいいのでけれど、そこには「やったこと」という経験が残ります。
死んでしまうと何も残していけませんからね。誰かに遺産をのこそうが、家を残そうが、会社を残そうが。その受け継いだひとが死んでしまうといずれ終わってしまいます。
最後まで残ることというのは、人に与えたものだけだったりします。
人に与えたものこそ残っているようです。物でもお金でもなく変わらないもの。父の教えや、おじいさんのやった功績。おばあちゃんが守っていたもの。母が信じてくれて愛してくれたもの。
これらが残っていくのでしょうね。
物を残そうとすることも必要かとは思いますが、どういう思いでやっていったのか熱い情熱を感じ取ってもらえるだけで良いのでしょう。
愛された記憶を残したいのであれば、愛をもって叱って、愛をもって守り、愛をもって待ち続けることです。
後悔するのは周りのいうことに従ったこと
いつも誰かのいうことに従っているとか、自分では決められないといったことがあったとします。そんなとき
結婚していればよかった。もし、この学校に入っていたらとか、考えをめぐらしてしまうかもしれません。
どんな会社に就職しようが、惜しまれても会社を辞めようが、親に反対されて結婚しようが。
自分で決めたことは、後悔しないのではないかと思うのです。
変わろうと努力したこと
変わろうと思って会社を辞めて個人事業で開業すると頑張っていたとしても、なかなか集客ができないとか、アクセス数が伸びないと、悩んでしまうかもしれません。
決して無駄なことではなくて、変わろうと努力したことを誰かがみています。自分ではない他のかたの記憶に残るのです。確かに頑張った記憶がです。
「誰かに与えたもの」は結果的に残っていくものなのかなと思います。
自分の中の変わろうと思う力をタロットで読み解くことができます。
最後までお読みくださってありがとうございます。
まんまマリア