それでも生きる理由は、本能が知っている

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まんまマリアです。いつもブログをお読みくださってありがとうございます。

〈#64〉

ジェラシックパークの映画を観てきました。大昔のことは誰にもわからないですよね。この世に存在しないこと、誰も知らないことを、ファンタジー「空想的」というのでしょう。

今日は、そんな生き物にとって身近な命と本能の話を書きますね。

 

亡くしてはじめて偉大さというのは気づくのですね。

 

わたしが死んだら誰か寂しくなるかな、きっと父さん、母さんが悲しんでくれるはずです。

悲しい姿をみたくないから、生き抜きたい。まだまだやり残しがあるから命の限り生きたい。

本能とは生き者に備わったもの。

物事が必要か、必要ないかわかる能力だと思うのです。

頭じゃないところで感覚的にわかっているもので、そこに自分の身を置いているのだと思うのです。

居ない存在がいとおしい

歴史のなかで大昔にしか居ない動物や人物。今居ないから、いとおしいものに感じられます。

大事なものは見えていないことに、亡くしてはじめて気がつくのでしょう。

 

命を使ってまでわたしたちに気付けと言っていることは

無くす前に気づくことではなくて

「どうしてそう思ったか」

凄くシンプルな謎解きに気づいたとき、その不思議な世界から抜けられる。

 

なぜ

なぜ

なぜ

この問いかけを繰り返していくことであなたの本能が読めてくるのだと思うのです。

本当に必要なことは何か

とらわれた思いに気づいてあげる

それだけで生き方が変わっていくのです。なにを隠そう、わたしもそのひとりだからです。

本能は知っている、今やるべきことやその問いかけを待っているのだと思うのです。

 

最後までお読みくださってありがとうございます。

 

まんまマリア

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