「コロナで人生が変わった」のではなくて、今変わったことに気づいたということなんでしょう。
周りの変化を感じることで自分のことを知る機会をもらっているということを書きますね。
今、大変な状況に向き合う方もいらっしゃるかもしれませんが、少しでも笑っていてほしいのです。
最後まで自分のことが一番分からない
会社に行って仕事をする。同僚や上司とのこと、人間関係での悩みもあるかもしれない。そんなとき「あいつさえい無くなれば」と考えるものです。
あいつさえい無くなれば
そのあいつがいなくなったとき、あなたの本性が見えて自分の中にあるずぼらさや、甘えを感じるのである。
まあそのような相手が存在することすらも、有難く感謝ですけれども。なかなか感謝とは思えないものです。
無意識に自分と同じような人を探している。
ヤンキーはヤンキーを探すし
お宅さんはお宅さんを探す
そうすることで自分の居場所を見つけている。周りの環境が安全だと思えますものね。何年かするとその場所は居心地悪くなるものです。いつまでもいがみ合いたくないからです。
仕方ありませんね。もう、あいつではなく、わたしだったのかって気が付くかもしれません。そうなったらその場から離れても良いでしょう。
大人の時間と記憶
何年経っても親にとっては子供は子供だ。そして子供にとっても同じです。記憶のことを話し始めると意外と苦しい思いより楽しい記憶が思い出される。
来年こそ恋愛するぞって考えるとする。
さて、来年はあるのかというと実はない。何回か寝て起きたら恋愛している状態が用意されているなんていうお話ではないのだ。
そうではなく、今のあなたの中に恋愛しているあったかい感情があればそれ自身が経験となる。
そのあったかい感情が現実となって未来に残っている。
だから恋人がいるあったかい感情を思い出すことをしていく。
どんなことを思い出せばいいかな。
猫のおなかに顔をうずめている様子。
家族で食卓を囲んでいる様子。
そんな中から温かい感情が出来上がってくる。
願いとは祈りのこと
願いの先にある祈り
ここまで書いて気づいたかたもいるかもしれませんね。
あいつさえい無くなれば
願いや祈りとは誰の為にするのかというと、他人に向けることなのでしょう。
だってわたしたちはひとりでは自分のことなど分かりませんから。
他人の評価も、意見も今の自分のことを知らせてくれる📯ラッパのようなものです。
大丈夫。大丈夫。そのままで良いのです。これが祈り
まんまマリア