小さいころ
静岡県生まれで、ものごころ着いたときには
岩手県の山奥に住んでいました。
近所にお店が一軒もない集落です。
町まで歩いて40分かけて買い物をしていました。
山奥にいるので、小学生のころはいじめられた経験もあります。
さらに家も貧乏だったので、生活保護を受けておりました。
役所の監査員は金めのものがあると、
文句ばかり言っていたことを覚えています。
私には誕生日がふたつあります。
戸籍の誕生日と生まれた日。
12星座でいうと別々なので嫌な思いをしたことを覚えています。
性格は本当に生まれた日が合うような気がしているました。
一方で戸籍の誕生日の星座でも合っている気がしていました。
このころから、あまり占いに対する不信感が増えた気がします。
中学では軟式テニスに入っていました。
高校も軟式テニスをやって真っ黒になっていました。
高校を卒業したらすぐに就職するつもりだったので、
工業系の学科で学び、そのまま地元の会社に就職しました。
20代
1993年、職場内結婚
2009年、勤めていた会社は早期退職する
私の仕事はCADを使いスマートフォンなどの電気機器に入っている
臓部の基板を設計していました。
30代
2010年、同じ職場の上司が起業した会社で
同じ設計業務を継続した。
ときには海外の製造現場で設計した製品の
状態を確認することもあった。
海外の工場の認定のような仕事も関わった。
2011年、東日本大震災がある。
この後、強烈に生きることがつらくなっていく。
2012年、悩みすぎて、用事を作って何度か家出をする。
生き方についてセミナーに通ってせっせと勉強する。
セミナーの帰りに離婚を決意。その年の11月離婚をする。
2013年、地元から離れて神奈川県小田原市で暮らす。
会社を辞めて、今までいた会社でアルバイトという名目で仕事を継続する。
どうして小田原かって?それは住みたいと思ったから、ただそれだけだった。
2014年、夏、兼ねてから夢ノート通りに
アメリカアリゾナ州のセドナに行きました。
ここでアメリカ人にタロット占いをしてもらい
自分がやりたいことが明確になったのです。
同年12月、設計の仕事を辞める。辞めた理由は
「他にやりたいことがあるから」
既に42歳です。やりたくないと思った仕事は無理にやる必要はないだろう。
人生の半分が終わったのだからと思いました。
今の私に何も失うものは無い。
・設計の仕事はやりたい人が他にも沢山いる、その人たちに任せればいい。
その方がみんな幸せです。
そう気づいたから辞めました。
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占い師になったひと
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