百人一首のお菓子を頂きました。

中学生の時の夢の一つ

百人一首を、覚える事でした。

小六の時

高村光太郎のレモン哀歌に涙しました。

あなたは、そんなにも🍋を待っていた。

白く明るい死の床で。。。

その頃の私は、🍋を追いかけ、千恵子を追いかけていました。

バイブルのように智恵子抄を持ってあるいておりました。

光太郎が、暴力的と何かの記事を読み

絶望しておりました。

そのとき百人一首に、出会ってしまいました。

東北育ちのわたしは、

みちのくの忍ぶもじづり誰ゆえに

みだれそめにし我なら泣くに。

導かれ、百人一首を覚えるにはまりました。

私は、飽きっぽいんです。

浮気性です。

三十くらいしか覚えられませんでした。

私が、老人介護のパート時役に立ったんです。

入居者の方々は皆、日本を作ってきて沢山の戦争や、震災を乗り越えて日本を守ってこられた方々です。

私は、少しでも楽に過ごしてもらいたいと思ってお世話させて

頂きました。

こんなこと言ってごめんなさい。

楽しかったのです。。。甘えられたしお菓子もらえたし。。💞

ある時、オムツ交換の時のことです。

大柄の寝たきりの入居者のお姉さまが泣いてるんです。

「どうしたんですか?。」

とお聞きすると

「本当に申し訳ない。恥ずかしいしなさけない」と泣かれるんです。

私は、「順番ですよ。

私も沢山の親や親戚に

オムツ替えてもらいました。

お返しさせてください。お願いいたします。」

と、言ったらひとしきり泣かれた後

「お願いします。」

「勿論です」

その時の会話のなかで、わかったのです。

なんと私の憧れの百人一首の名人だったんです。

オムツ交換が、楽しくなりました。

「秋の田の、かりおのいおのとまをあらみ」

と言えば、お姉さまから

「我が衣手は、つゆにぬれつつ」と帰ってくる。

逆もありました。

少ししか覚えていないので、心配はありましたが

役に立ったのです。

深い知識と経験

家を支えてこられた功績

計り知れないことを教えられました。

たくさんの先輩方に

ありがとうございます✨

学びは、時代人知を越えますね。

私たちが生かされてるのは、御先祖様は勿論

この先輩方がたの生きざまのお陰です。

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