『出世の階段』は何故、あんなにも急なのか。

出世の階段で有名な愛宕神社。階段がとても急勾配ですよね。

それは、元々、23区内でも一番高い、標高25.7メートルの愛宕山だったからです。

なぜ、出世の階段?

寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺(増上寺)に参詣の帰りに、愛宕山の下を通りました。

山頂の満開の梅を目にした家光公は、『誰か、馬にてあの梅を取って参れ』と命じました。

ですが、愛宕山の石段はとても急勾配。

馬でこの石段をのぼって梅を取って来る事は、大怪我する事、一目瞭然。命を落とす事も考えられます。

家臣たちは皆、下を向き、行こうとする者はいません。

家光公は、どんどん機嫌が悪くなり、このままでは首を切られても、おかしくありません。

その時、挑戦をしたのが、曲垣平九郎(まがき・へいくろう)という方。

そして見事に梅の花を取って来ました。

平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国に轟いたと伝えられております。

それが『出世の階段』と名付けられた由来です。

出世の階段の由来となった話題の梅も咲いていて、何だかその時代を感じます。

愛宕神社は不思議空間

階段を上がると、お地蔵さん。(今は改装中で移動されていました。)

神社なのに、お地蔵さん?

って不思議に思われた方もいらっしゃると思いますが、それは江戸時代までは寺院と神社はそれぞれの要素が混じり合った混交宗教の形態をとっていたからです。

それを、『神は神・仏は仏と厳格に切り分けよ』という明治新政府の法令が出され、今は神社とお寺が区別されていますが、愛宕神社は徳川家康公が鬼門除けとして火の神である火産霊命が主祭神として祀り、陣中の守護神として崇敬し、戦いの前には必ず地蔵菩薩も参拝していたので、地蔵菩薩も残したと言われております。

丹塗りの門には、徳川家が創建した証の紋章が入っております。

階段を下りたら降格する?

3月頃までは改装中で、帰りも男坂の階段を下りるしかありません。

『今行くと、出世どころか降格?』と思われる方もいるかもしれませんが、『出世の階段』の名前の由来となった平九郎さんは、馬で登り、梅の枝を取り、馬で降りて来た事で名を馳せましたから、きっと大丈夫。安心して下さいね。

ただ、坂は急なので、足元にはお気を付けて。

階段は86段ありますから、登りも自分のペースで上る事が大切です。

登った方は、一段足りない?と不思議に思われるかもしれませんが、最初の一段目は数センチ。

そこから一段目と数えて下さいね。

私の後ろから来た若い方は、なぜかあと数段ある所で90段目を数えていました。。。

何故かしら?

神社仏閣で動物が出迎えてくれるのは、歓迎されている証です。

今日も白猫ちゃんがお出迎え💕

3匹いますので、探してみてね。

羊乃 愛癒 (ひつじの めい)